先日放送されたNHKスペシャル「発達障害
~解明される未知の世界~」を見た。
感覚過敏など、発達障害の方々の内面世界を最新のエビデンスに基づいて報じて、とてもよい番組だったと思う。
海外の研究動向の紹介も良かったが、スタジオに、当事者の方々がいらしてお話されていたのが、とても良かった。
特に、比較的長い時間をつかって、そのコメントを丹念に放送していたことが、個性が伝わるという意味でとても良かったと思う。
発達障害(developmental disorder)
の「障害」という言葉については、注意する必要がある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Developmental_disorder
確かに、社会生活を送る上でさまざまな困ることがあり、いろいろな工夫が必要であるという意味では「障害」とも言えるかもしれないが、そのような方々も、神経学的に典型的な(neurotypical)方々と連続の「スペクトラム」の中にある。
そのような意味では、発達障害は一つの脳の「個性」である。
個性であるということは、苦手なこともあるけれども、得意なこともあるということで、問題は、そのような個性をどう活かすことができるのかということだと思う。
番組でも取り上げられていたが、発達障害という脳の個性は、外からはその様子がわかりにくいので、その個性を尊重する、と言っても周囲がわからないことが多い。
たとえば、感覚過敏で、音環境に影響を受けるということは、周囲の方々にはわかりにくいので、誤解が生じやすい。
本人の「心がけ」が悪いのではないかと思われてしまうことも多いだろう。
私たちが、お互いの個性を尊重し、響き合わせる社会をつくるという意味でも、発達障害についてのこのような番組が放送され、脳にはさまざまな個性があるということが認知されることには大きな意味があると思う。
個人的な話になるのだが、先日、親友の竹内薫とのトークショーのあとで、児童精神科の方がいらして、真顔で、こんなことを質問された。
「茂木さん、失礼ですが、子どもの頃、発達障害と診断されたことはありませんでしたか?」
一瞬びっくりしたが、事実をそのまま答えた。
「いいえ、ありません。しかし・・・」
しかし、現代の診断基準ならば、私が発達障害と診断されていた可能性は十分にあると思う。
私は「一人学級崩壊」と言われるくらい落ち着きがなく、じっとしていられない。
そのトークショーでも、竹内がゆったりと座っていたのに対して、私は立ち上がったり、歩き回ったり、いつものようにやっていた(私を知っている方ならば、わかりますよね)。
私は発達障害かもしれないし、そうでないかもしれないが、なんとか生きている。
とっちらかっていることで、いろいろ大変だったり、迷惑をかけることもあるけど(ごめんなさい)なんとか生きている。
ただ、一つ思うのは、自分の個性はなかなかわからないということである。
実際、私は、自分が「一人学級崩壊」と言われても仕方がないくらい落ち着きがないということに、十年くらい前まで気づかなかった。
他人から見れば、一目瞭然だったのかもしれないが。
それくらい、脳の個性を知ることは難しい。
だから、この番組のように、お互いの個性を見つめ合って、対話を始めることが必要なのだと思う。
番組スタッフの方々、よい番組をありがとうございました!
(発達障害かもしれない、一視聴者より)
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