先日、藤倉大さんと話していた時に、グレツキの悲歌のシンフォニーの話になった。

悲歌のシンフォニー(交響曲第三番)は、第一部がマリアの、第二部が第二次大戦中にゲシュタポの壁に書かれていた言葉、第三部がポーランドのドイツに対するシレジア蜂起の際に息子を失った母親の嘆きの言葉にもとづいている。

1976年に作曲されたこの曲は、現代曲としては異例の100万を超えるセールスを記録し、それまで一部の間でしか知られていなかったグレツキの名前を有名にした。
そして、藤倉さんは、この「悲歌のシンフォニー」よりも、その前のグレツキの曲の方が好きなのだという。

「悲歌のシンフォニー」は、和声的ミニマリズムで書かれていて、全曲を通してある気分が継続する。しかし、その前の時期のグレツキは、繰り返しを否定するセリエル音楽を書いていて、全く違った作風だった。
「悲歌のシンフォニー」の成功は、それ以外のグレツキの作品に対する一般的な興味にはつながらなかった。

ここには、いろいろと考えるべき問題が潜んでいるように思う。
「悲歌のシンフォニー」が、発表時、現代音楽の批評家からは酷評されたことは事実である。ピエール・ブーレーズも、「クソだ!」と叫んだという。

「悲歌のシンフォニー」は、現代音楽の作り手の志向性の核心からはずれている。

その一方で、このシンフォニーが多くの人の心をとらえ、今でも愛されていることも事実だ。

人間は単純さと複雑さの序列を往々にして見間違い、アカデミックなアプローチは生命の本質から時に離れるのかもしれない。
そのことと、凡庸さや低い目標との区別は、往々にしてつきにくいが、しかし歴然として存在するのだろう。

グレツキ自身は、「悲歌のシンフォニー」の大成功を前にしても、それと同じような作品を再びつくろうとはしなかったし、商業的成功のために曲をつくることもなかった。

 

Gorecki Symphony No. 3 "Sorrowful Songs" - Lento e Largo