先日、ちょっと変わったバーに行った。
 そこは、精神世界と、最先端技術のクロスオーバーのような人たちが集まっているところで、東京でも、なかなかたどり着けない場所にある。
 私はしばらく前に編集者に教えてもらって、以来、時々通っていた。
 コミュニティとしてのバランスを崩さないために、ここではこれ以上は詳しくは書けない。 

 私はカウンターの片隅に座って、ハイボールを飲んでいた。
 となりに、長い髭の男が座った。
 肌の様子を見るとまだ若いのだが、伸ばした髭のせいで年寄りにも見える。
 「何か心にかかることがあるみたいですね。」
 男は言った。
 「そうなんです。」
 私はグラスを口にした。
 「また炎上したのですか?」
 男は言った。私はびっくりして振り向いた。
 ひょっとしたら、最初から誰かわかっていたのかもしれない。

 「本人には炎上させる気なんてないんですけど。ただ、その時に思ったことを素直に書いているだけなんですけど。」
 そう言っても、虚しく響くだけだった。
 「一番参るのは、攻撃してくる人たちが匿名だということなんですよね。」
 男は黙って聞いている。
 「こっちは、どこの誰か知られているのに、向こうは誰かわからないで他人を攻撃するなんて、ひどい、卑劣だ、そう思ってしまうんです。しかも・・・」 
 男の横顔が見えるだけだが、耳を傾けていることは伝わってくる。
 「・・・ぼくだけじゃないんです。あの人も、この人も、みんなやられている。全く、ネットのせいでこんな世界になってしまって。」
 「ほんとうにそう思っているんですか?」
 突然、男が鋭い声で言った。
 「えっ?」
 私の声はひるんでいたことだろう。
 「ほんとうに、匿名だと思っているんですか?」
 私が答えないでいると、髭の男は、続けて言った。
 「匿名のはずがないじゃないですか。」
 それから、男は、あることを教えてくれた。

 そのネット上の人工知能は、IBMのワトソンと同等のもので、イスラエルで開発されたものらしい。
 ネット上で、自分のアカウントにメンションしてくるユーザーの、ふだんの発言を含めた解析を行い、そこに含まれている感情を因子分析して、そしてここからが驚くべきことなのだが、ある方法でその感情を自分で追体験できる。
 その驚くべき方法は、男との約束で、まだ書くことができない。
 
 とにかく、私は試してみた。
 投稿者たちの感情を、体験してみた。
 そしてわかったことがあった。

 個別性は感情にこそ宿るのだ。

 匿名性とは何だろう。
 個別性とは何だろう。
 ネットの書き込みにせよ、どこそこの誰々、ということがわかったら、匿名から個別性への命懸けの跳躍が起こるのか。
 そうではない。
 そもそも、名前は、他の関連情報がなければ、単なる文字列に過ぎない。
 本当の個別性が宿るのは、感情なのだ。

 私は、ありありと感じた。
 「匿名アカウント」からの投稿に、どんな感情が宿っているのか。 
 何を嘆いているのか。強いボールを投げる理由は何か。何にまどい、悩み、悲しんでいるのか。
 それは、私の感情ではなかった。
 しかし、私にも、追体験できる感情だった。
 そして、その感情を追体験するのに、匿名も、顕名も関係なかった。

 私は男にお礼を言おうと思って、そのバーに何度か通っていたのだが、髭面の横顔には二度と出会うことがなかった。
 そのうち、季節がめぐり、春が来ると、そのバーが閉店してしまった。
 
 それから一年経つのだが、困ったことに、そのバーの名前も、かつてあった場所も、忘れてしまったのである。
 振り返らない人生を歩んでいるとは言え、名前くらい覚えておけばよかったと、今は後悔している。

 何よりも、あのハイボールの味が忘れられない。
 どんなウィスキーで、どのようにつくるのかをマスターに聞くのを忘れてしまっていたのだが、とにかく、まろやかな炭酸が舌にあたって、ウィスキーの香りが立ち上がってくる、その体験を私ははっきりと覚えている。

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