努力の継続のためには、むしろ努力していること自体に注意を向けない方が良い。また、努力の継続には「やる気」も必要ない。言い換えればいわゆる「やる気スイッチ」などは必要ないということになる。

正確に言えば、あれこれと理由をつけてやらない、という状態から、とにかくやる、継続するという状態へのモード変化のために、たった一回だけ、「やる気スイッチ」を押せばいい。そのあとはずっと同じことを続けていればいい。

努力の継続のために行われる脳内計算の難事は立ち上げと解放の二箇所で起こる。立ち上げ、すなわち作業をしていない状態からしている状態への変化と、逆に作業をしている状態からしない状態の変化の二点において、文脈の切り替えという前頭葉の機能が作動する必要がある。

つまり、作業開始と作業終了の際に、前頭葉の「文脈切り替え」スイッチを計二度押せばいいのであって、それ以外はフラットでいい。特に、作業を続けている間は(もしそれを努力と呼ぶならば)スイッチを押し続ける必要はなくて、フラットにただやっていれば良い。

「やる気スイッチ」という言葉はキャッチーでなんだかご利益があるように感じられる。確かに、努力へのモチベーションという意味での感動体験や、小さな成功体験は必要だが、日常の努力において求められるのは「やる気スイッチ」よりもむしろ「フラットな習慣」である。

むしろ、世の中の、意識が高くあるべきだ、と信じている(信じ込まされている)人たちの中には、「やる気スイッチ」をぜひ押さなくてはいけないのだ、あるいは押し続けなければいけないのだという思い込みで、かえって不自由になっているケースが多いように感じられる。

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