今日、移動しながら、あるいは仕事をしながら、証人喚問を(ネットで)かなりの部分見た。
その感想は書ききれませんが、特に自分の中で強く立ち上がったことを以下に記します。

籠池理事長は、一時期のニュースから得られていた印象よりも、ずっと理知的で論理的な思考をする人だと感じた。また、国会での陳述も、自身の認識に忠実であろうと努めていることが感じられた。

ただ、教育観、歴史観は控えめに言っても独特と言わざるを得ない。このようなことは時々起こることで、基本的に理知的な人がある一点だけ偏っているということはしばしばある。

だとすると、一時期のニュースの中での、全面的にクレージーな人、という印象は一種のキャラクター・アサシネーションだったのだろう。

与党の議員さんの質問は、主に籠池理事長の証人としての信憑性を低下させることを目的としているように感じられた。そのことにどのような公益があるのかはわからない。

午後の衆議院でのある議員さんの質問は、まるでドストエフスキーの小説に出てくる刑事のようにも感じられた。表面的には穏やかに話しているようで、実はぐいぐい迫ってきているのである。その不気味な追及は、しかし、何を目指してのことなのだろう。

肝心の事件の核心だが、「忖度」という、あまりにも日本的な構造をうんざりするほど見せられている気がする。 

明示的な指針や原理よりも、「忖度」によって動いていく精緻な機械仕掛けの官僚機構。

今回はたまたま時の政権の意向を忖度した可能性が高いが、官僚たちはふだんから財政上の整合性や世論などを忖度して破綻がないように巨大な行政機構を動かしているのだろう。

籠池さんという興味深い人物のお陰で、そのような日本の統治機構の不気味な精巧さが浮き彫りになっている気がする。

日本会議も問題だが、私には、そのような日本の統治機構の方がどちらかというと不思議に思われる。

この事件がどのような結末を迎えるのか、私にはわからないが、少なくとも今日一日で、私は日本という国のひんやりとするリアリティの一端に触れたようなそんな気がした。

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