又吉直樹『劇場』  (新潮 2017年4月号)

 

 この作品の私にとっての最大の魅力は会話だ。
 

 そして、交わされる言葉たちの背後にある人間関係の見方、言葉と言葉の響き合い、間合いのとり方が温かく、それでいて人間のことをわかっているといった単純な決めつけもなく、そんな調子が良い。


 自分のことさえ突き放す、しかし離れない距離感が、心地よい。


 『劇場』全体から、歳経たバイオリンの音が鳴っているような、そんな感覚を受けた。人と人との間を満たす香油を分泌しているのは何なのだろう。そこには文学がある。


 『劇場』は、恋愛小説だ。主人公のダメぶりとともに、対象となる女性の人物がくっきりと立ち上がってくる。ああ、確かにこういう人いるね、という立体感がある。読み終えたら、ひとりの人を知った気分になった。


 主人公は成長しない。その意味では『劇場』は教養小説(ビルドゥングスロマン)ではない。しかし、何か、成長という言葉では片付けられない深まりがある。暗闇がひたひたと濃くなっていくような気配がある。そんなところが、『劇場』の現代性だろう。


 この小説には一切描かれていないことがある。その欠落は恐らく意図的なもので、絵に記された裏署名のように気になった。

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