「神」の概念を考えるときに、スピノザに触れないわけにはいかない。アインシュタインは、スピノザの神を信じると発言していた。主著『エチカ』には、「神」について重要な考察が述べられている。

スピノザにとっては、神は絶対的な無限である。この命題から帰結されるいくつかのことがあって、それは、神という概念について多くの人が純朴に信じているいくつかの直観と矛盾する。

スピノザにおいては、神は身体を持たないし、人格も持たない。意志も持たない。なぜならば、このような属性は、無限ではなく、有限にこそ宿るものだからである。具体的な身体を持つということは、それ以外のすべての身体の可能性を否定することになる。つまりそれは無限ではない。

スピノザにおいては、神は知性を持たない。なぜならば、知性は、有限の立場から派生するものだからである。チューリングマシンを考えればわかりやすいが、ある特定の時間において、特定の状態をとる、という前提でしか、知性は成立しない。つまり、神は知性とは関係ない。

人間は、身体や、人格、意志、知性といった、自分自身が有限の立場で持つ属性を前提に、それを増大させた存在として神を構想しがちであるが、実際にはそのような神はスピノザの言う無限としての神とは関係がないのである。

このようなスピノザの神の概念に、アインシュタインが強く惹きつけられたというのは興味深い。そのアインシュタインは、死というものを安らかに受け入れるとずっと発言していたが、実際、死ぬ間際まで、統一場理論のノートを書いていて、その数式がアイザックソンによる伝記の最後に引用されている。

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