時々、若者が、「茂木さん、オレ、今にビッグになりますから」と言ってくる。そういうやつで、ビッグになったやつを今まで見たことがない。なぜかと言えば、そいつは、自分のことしか考えていないからだ。

人間だから、自分がかわいいのは仕方がないが、自分のために、ではなく、他人のために、社会のためには何ができるのかを考える。そのようなことを一生懸命やる人には、社会の側もありがとう、と言いたくなる。つまり利他的な行動が結局は自分自身のためにもなるのである。

他人のためになにかをするのは難しい。他人の明確なモデルがないと、善意の押し付けになるからだ。また、社会の中の人々は、それぞれ多様な悩みや需要を持っている。そのスペクトラムをはっきりと見極めていないと、他人のために何かをすることはできない。

他人の心を推定する能力を「心の理論」というが、基本的に不良設定問題でもある。そもそも、原理的に他人の心を読み切ることは不可能だからだ。しかし、不可能なりに、それなりのマッチングがとれないと、他人のために何かをすることはできない。

他人の心と自分の心を鏡に写像し合って、自分の心の動きを他人の心の動きの一つのモデルとすることもできる。しかし、この場合も難しいのは、自分自身の心の動きの中にも、自分の意識には容易にアクセスできない隠された動機、隠された願望があるということだ。

他人のために何かをすることの難しさは、自分のために何かをすることの難しさに通じる。人は、自分自身のことを、本当は良くわかっていない。自分のために何をしたら本当に自分のためになるのかと考え抜くことは、他人のために何かをするための良いトレーニングになる。

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