不明を恥じる、ということは誰にでもある。特に、最初のインパクトが大きいものに出会った時には、「なぜ今まで知らなかったのか」と思う。後悔がないまぜになった気持ちがわきあがってくるのである。
 私が金子みすゞを知ったのは、30歳を過ぎた頃だった。「みんな違ってみんないい」の詩を目にして、こんな素敵な文章を書く人がいるんだ、と思った。
 それから何年か経って、ずっと年下の人と、金子みすゞさんの話題になった。
 「教科書に載っていたじゃないですか」
 「そうだっけ」
 「載っていましたよ。いわしの大漁の詩とか。」
 彼にとっては当たり前のことが、私の世界知の中にはない。金子みすゞさんの詩は、ある時期から教科書に載るようになり、それ以降の世代の人にとっては「常識」のこととなったらしい。
 生前から著名であった金子みすゞさん。その後、時代の流れの中で忘れられた。再発見は、1984年。矢崎節夫さんたちの手によって詩集が出版された。その言葉が人々を動かし、やがて、今日のように、誰もが知る存在になったのは、時を超えた文学の普遍性というべきものだろう。
 今や、金子みすゞさんは「古典」となった。もはや、二度と忘れられることはないだろう。日本と日本語の豊饒の世界が健在である限り、金子みすゞさんの言葉は人から人へと、心の鼓動を伝え続ける。
 私という人間は基本的にぼんやりしているので、金子みすゞの詩を多く知り、日常生活の中で口にするようになっても、彼女がどのような生涯を送った人なのか、実はしっかりとは認識せずに時が過ぎていった。
 先日、山口県の萩を訪ねた時のこと。宿泊先は長門湯本温泉だった。車は、海辺の街を走っていた。「金子みすゞ記念館」の文字が見えた。はっとして窓の外を見る。カーヴしたその道の向こうにそれはあるらしかった。もう夕暮れ。訪れることは叶わなかった。
 その時車が通っていたのは長門市の仙崎。金子みすゞさんのふるさと。さっと通り過ぎたその風情が、今も忘れられない。道がカーヴしたその先に、いつか行ってみたいなと思う。きっと、そこには金子みすゞさんの詩のようなやさしさが待っているに違いない。
 宿に荷物を置き、長門湯本温泉の街を歩いた。落ち着いた、静かな佇まい。川が流れ、シラサギが飛ぶ。小高い山に上ると、神社があった。降りたところに、地元の人々が来る公衆温泉があった。その横の駐車場の壁に、金子みすゞさんの顔が大きく描いてあった。
 みすゞさんも、この温泉に来たのかな。温もりの人が、温もりを求めて。細い路地を歩きながら、そんなことを想う。
 日本が未曾有の大震災に見舞われて、心がざわざわとしたまま春を迎える。地震が起きて以来ずっと東京にいて、初めて外に出る。そんな旅だった。いつもに増して、人の心のやさしさ、人と人が結びつくコミュニティの有り難さが身体にしみ入った。温泉を訪れるお客さんたちを、迎える側の生活のこと。やさしさの理由は、生きることそのものの中にある。
 私の中には、一つのイメージがあった。生活で苦労をする。それでも、澱のようにたまってくるものを、決して見せない。それは覚悟でもある。どんなに辛くても、苦しくても、人に対する時には太陽の下のタンポポのように微笑んでいる。そんな人になることができたなら。
 宿に帰って、お風呂に入る。疲れがとれる。心尽くしの料理を、本当に有り難いと思っていただく。お話する宿の方の笑顔に救われる。何かがほぐれていった。
 宿に置いてあった、金子みすゞさんに関するパンフレットをふと手にとった。ページをめくる。はっと衝かれて、そして呆然とした。
 彼女の詩を知っている割には、その生涯については、殆ど何もしらなかった。周囲の事情で結婚。夫との不仲。子どもへの愛情。そして、自ら選んだ死。金子みすゞさんの生涯は、苦労に満ち、時に深刻な色を帯びる、決して幸福とは言い切れないものだった。
 他の人ならば、心を砕かれてしまうかもしれない。世間を恨むことを学ぶかもしれない。しかし、金子みすゞさんは、そうはならなかった。まるで、今朝咲いたばかりのスミレの花のような、初々しい純朴さを保ち続けた。その心が、詩に結実した。
 子どもの明るさは天与の恵みである。やがて大人になり、苦労を重ね、傷付き、汚れ、時には踏みつけにされ、それでもまっすぐな気持ちを失わない人がいる。そんな人は、周囲に本当の勇気を与える。忘れがたい愛の感触を残す。そして、永遠に人々の口に上る、美しい詩人ともなる。
 最近になって、テレビのCMで話題になって、再び金子みすゞさんに注目が集まっているのだという。画面の中をふと通り過ぎるその言葉の表情の中にも、それを生み出した人の生の真実が宿る。金子みすゞさんの生涯の波乱万丈を知らない人にも、なぜかそれは伝わっていく。信じていい。 
 スミレの花の可憐さに心を奪われる人は、土の中の根が水を吸い、養分を貯えるその苦労を必ずしも知るわけではない。しかし、それできっと良いのだと思う。
 だからこその、言葉の恵みがある。言葉は、それを発した人の肉体を離れ、遠く漂い、写され、伝わり、そしてやがて響く。
 苦しみに満ちた人生の中から生まれた言葉の力。やさしさの理由。誰もが金子みすゞさんのような言葉を紡ぐことができるわけではないが、そのやさしさから学ぶことはきっとできる。

茂木健一郎 サンデー毎日連載 『文明の星時間』第160回(2011年)より。