脳の個性に関するさまざまな事例を見ていると、欠点と長所が表裏一体になっているケースが多い、ということに感銘を受ける。人よりも劣っている、と思われるポイントの近くに、その人ならではの輝きがあるケースが多いのである。

結局、脳の中の神経回路網の構成、動作の個性が、一方では欠点として、他方は長所として現れる。教室での一斉授業、ペーパーテストの教育制度の下では、ある特定の基準で人よりダメだとつい劣等感を持ちがちだが、その近くに、すぐれた能力があることが多い。

ただ、脳の個性は、そう簡単には見つからないことも多い。例えば、学校での暗記テストなどの成績は凡庸なのに、人生のエピソード記憶だけ鮮明に覚えていて、しかしそれが本人にとっては当たり前なので、中年になるまでそれが特別なことだとはわからないといった事例もある。

記憶などの課題は、比較的操作的に定義しやすいが、それ以外の、たとえば絵を描いたり、音楽を聞いたり、身体を動かしたり、コミュニケーションをしたりといった領域での個性は、そう簡単には発見されず、見つからないまま一生が終わる、という可能性もある。

現状の標準化された学校教育は、システム的に個性の発見とその保護、育成は苦手である。だから、個性は、その人本人、及び、周囲(保護者や、特別に個人的な関係のある教育者)が守り、育てていくしかない。困難は伴うが、粘り強くやれば、いつかは実を結ぶはずである。

肝心なのは、個性は本人にも周囲にもすぐにはわからず、粘り強く深掘りしていって初めてわかるということ。個性の認識、育み自体が、高度に創造的なことである。最高の創造性の一つは、自分の個性をはっきりとわかること、だと言ってもいいくらいだ。


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