自由意志があるのかどうかということは、微妙な問題である。現代の脳科学、及び周辺科学のコンセンサスから言えば、実は決定論的なのだが、自由意志という「幻想」が脳内でつくられている、というのが真相に近いのだと思う。

一つひとつの意思決定の機会において、自由意志という幻想があるにせよ、それにあまりにも強く依存することは適切ではない。むしろ、以下に述べる、統計的な意思決定のメタ認知をつかうことが、実際の人生においては役に立つのだと思う。

統計的な自由意志概念とはなにか? それは、自分の生活時間の配分について、ふりかえって、何が多くて何が少ないのかを、把握することである。たとえば、最近の自分の時間の使い方で、読書はどれくらいの割合を占めているのかを振り返る。

個々の意思決定の局面において、スマートフォンでSNSを見るのか、それとも本をよむのかという「分岐」が生じて、そこでの帰結を議論するのが本来の自由意志概念であるが、そうではなくて、そのようなmicro decisionが集結した統計的傾向を基準に、自分の人生を組み立てるのである。

人生にはさまざまな活動の文脈、方向性があるが、自分の最近を振り返って、ある分野の活動は十分か。特定の分野の活動が多すぎないか。そのような統計的な振り返りをして、将来における時間資源配分を変えるように心がけることで、間接的にmicro decisionレベルの自由意志の質も変える

人生における課題は、多くの場合、個々のmicro decisionレベルの意思決定よりも、それらが積み重なった統計的な傾向の方により顕著に現れる。そのような視点から、以上のような自由意志の統計的構築が役に立つとかんがえられるのである。

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