来年のコンピュータとの対決(電王戦)の「人間」挑戦者を決定する叡王戦で、対局者の久保利明九段が開始時間を勘違いして、不戦敗になってしまったという。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161030-00000050-asahi-soci … ご本人には気の毒だが、いかにも人間らしいエピソードである。

コンピュータだったら、そもそも、対局時間を勘違いしないだろうし(クロックの「設定」を間違っていない限り)、記事中にあったように「豊島七段だけが座っている様子が映り続け、持ち時間1時間が経過した午後3時に不戦敗が成立した」というような事態は、コンピュータだったら起こらない。

叡王戦は、「人間界」最強の羽生善治さんも今のところ勝ち続けて、4強に入っている。 http://www.eiou.jp/main/  もし、このまま羽生さんが優勝して対戦者に決定すると、来年は、いよいよ、羽生善治さんがAIと対決する。いわば、人間対AIの「最終決戦」だ。

羽生さんには、AIに勝って欲しいとは思うが、いつかは、人間が負ける時が来るかもしれない。しかし、それでも、将棋の意味がなくなるわけではないだろう。むしろ、将棋が、「スポーツ」としてますます輝くのではないか。

機械には及ばないけれども、人間が生身の脳と身体でやるからこそ意味があるというのが「スポーツ」である。たとえば、自動車はもっと速いが、ボルト選手が100メートルを9秒59で走ることには、根源的な感動がある。

将来的には、言語間の自動翻訳が実現できるかもしれない。そんな時、英語を喋れるということはオプションになるかもしれない。それでも、自分の脳が、生身とし英語を理解し、発することができる状態になっているということには価値があるだろう。いわば、スポーツとしての英語である。

スポーツは、それに取り組む者の心身を健やかにする。課題があるからこそ、楽しい。そして、スポーツ選手、すなわちアスリートは、球場に一茂さんと一緒に行って忘れて帰ってしまった長嶋茂雄さんのように、「ポカ」をすることもある。

久保九段が叡王戦で対局時間を勘違いして不戦敗になってしまったエピソードは、まさに、生身の人間、アスリートとしての「ポカ」のような気がして、いよいよ、将棋はスポーツに、棋士はアスリートになっていくのだ、という予感が強まるのである。

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