浅井慎平さんにうかがった話で非常に印象的なのは、ビートルズとの出会いが、「不意打ちだった」ということで、街を歩いていて、突然耳に入ってきた音楽の新しさに呆然としてしまって、そこに立ち尽くしてしまった、というのである。

ビートルズを、歴史上偉大なミュージシャン、教科書に乗るようなバンドと認識した後ではなく、全く新しい、どのような存在かわからないうちに反応するという人間の存在が、ビートルズの価値のすべてだったのではないかと考える。

日本公演で、武道館を使おうとしたら、当時の保守派の方々に反対されたし、イギリスでもアメリカでも、若者たちを惑わす音楽として眉をひそめる人たちもいた。しかし、ビートルズの音楽に熱狂し、泣き、叫んだ当時の若者たちの心の中に、すべての答えはあった。

ワグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』に込められた思想は、音楽の真の価値は、専門家などではなく、民衆こそがわかる、というもので、最後の歌合戦の場面に、その理想がうつくしく描かれている。

音楽の価値は、それを専門家が認めたり、権威が顕彰したりすることの中にあるのではなく、人々の中にその音楽が響き、愛され、受け継がれていく、ということの中にしかない。ボブ・ディランの音楽がノーベル賞で変わるなんてことが、そもそもあるはずがない。そこには本質はないのだ。

ビートルズという現象の一番すばらしいところは、権威からも専門家からも関係なく、その音楽を聞いたひとたちが自発的に反応し、熱狂した、その瞬間にこそある。当時、素直に反応して、叫び、泣いた人たちは、人生の最高の時間を過ごしていた。祝福されてあれ!

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