今、「アナウンサー」って英語圏では言うっけ、とふと思ったんだけど、一応項目はあった。https://en.wikipedia.org/wiki/Announcer でも、ニュースを読む人はnews readerで、番組の司会だったらpresenterとか、MCとか言う気がする。それはさておき。

ぼくが、以前から講演会とかシンポジウムの時にすごく疑問なのが、日本的な「MC」の方がお話になる時間帯で、あれは、もともとは諸外国にもあったのだろうけれども、どうも、日本的な独自の発展を遂げているようにも感じる。

フリーのアナウンサーの方とかが「本日は・・・でありがとうございました」などとおっしゃって進行するのだけれども、その口調とか、トーンとか、お話になる内容が、「つつがなく」というか形式主義で、要するに実質的な内容が何もない。

本当は、その方の肉声が聞きたいのである。ちょっとジョークを言ったりして、場をなごませるのもいいと思う(実際、ショーのプレゼンターの役割は、リッキー・ジャーヴェイスなんかやり過ぎだけど、ジョークを言って沸かせることだったりする)。

どうも、日本におけるアナウンサーやMCのイメージは、自分の内面を消して、ある役割を演じる、という文化に偏り過ぎている気がして(外国にもそういうのはあるけど、そうでない流れもある)もったいないし、今の時代には合わないような気が、しばらく前から(というか10年くらい前から)している。

内面を消して、ある役割を演じることの問題の一つは、その方の内面を表現する時の、「市場の中での鍛えられ方」の機会逸失かと思う。何か言えば、当然いろいろな反応が返ってくるし、その中でまずい、ということもあると思うのだけれども、消していると、そのようなフィードバックの機会がない。

だから、アナウンサーの方が、珍しく本音を言われたり、ブログで書かれたりすると、「あちゃー」となってしまうというような事象も起こるのかもしれないと思う。普段から、自分の本音を言って、内面を市場の荒波で鍛える訓練をされていれば、そんなこともないと思うのだ。

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