蓮舫さんのいわゆる「二重国籍」問題が引き続き議論されているようです。

蓮舫さんのパートナーの村田信之さんが、私のツイートをRTしてくださったこともあって、たくさんの方が、私のツイッターなどにご意見をくださってもいます。

そんな中、あまり論じられていないと思う点を、一つ書かせてください。

今回のことは、多くの方が、「日本人」とは何かを考えるきっかけになったのだと思います。

これからも、外国からいらして、日本に定住される方も出ていらっしゃるでしょうし、国際結婚が当たり前のことになった今、 「日本人」とは何か、という概念は、変遷しつつ、模索されていくのでしょう。

「国籍」というアプローチは、法的には「日本人」の観念の基礎なのでしょうが、認知的には必ずしもそうだとは思えません。

私は、「日本語」が、「日本人」という概念の中心なのではないかと考えています。

どんな見かけの方でも(いわゆる「日本人」のイメージとは異なる見かけの方でも)、日本語をしゃべられると、私たちはその人が「日本人」と感じ始めるのではないか。
もちろん、片言でもいいのです。日本語をしゃべる、そしてしゃべる意志、学ぶ意志が感じられる限り、私たちは、その方を「日本」というコミュニティに受け入れる気持ちになるのではないかと感じます。

それくらい、「日本語」という言葉の力は強いのかな、と思います。

 さて、蓮舫さんですが、この度公開されたインタビューを聞いても(下記サイトにインタビュー動画があります)

「ネットの怖さを痛感した」蓮舫氏「二重国籍」騒動を語る 【単独インタビュー】 

当たり前ですが、日本語を「完璧」にお話されています。語彙、リズム、イントネーション、どれをとっても、日本語の一流の話者です。

考えてみれば、日本で生まれ、日本で育ち、キャスターまでやられていたのですから、当然のことなのですが。

ということは、 親御さんが外国御出身で、国籍に関するさまざまな経緯があったにせよ、蓮舫さんを典型的な「日本人」と感じるのは、まあ自然なことだと私には思えます。

言葉によるこのような認知プロセスの整理は、「日本人」とは何かという観念的な議論よりもよほど、私たちのコミュニティ感覚をとらえているように感じます。

なにしろ、言葉は、人間のコミュニケーションのまさに本質なのですから。 

日本語を習得するのは、それなりの生活経験の積み重ね、努力が必要ですから、ある意味では、他のどんなことよりも、「日本人」としてのパフォーマンスを支えることだと思います。

つまり、蓮舫さんは「日本人」であるというのが、私の結論です。