時々、小、中、高校を訪問して、授業を見させていただくことがあるけれども、その度に、教室の中に生徒たちが並び、先生がずっとしゃべっている、あの授業スタイルが「なんだかなあ」と改めてびっくりする。自分もその中に12年間いただけに、なおさらである。
自分は、あの、教室での一斉授業をどのように「やり過ごして」いたのかと思う。今振り返ると、先生の話を聞きつつ、場合によっては自分で他のことを考えたり、手元の辞書を読んだりして、認知的な負荷を高めていたのではないかと回想される。
うまく行っている授業は、生徒たちの脳を暇にしない。適度な難易度で、適度な課題、適度な作業量で、次から次へと脳をエンゲージして、授業の終わりまで飽きさせない。一方、うまく行っていない授業は、生徒たちが、時間を持てあますのではないかと思う。
時間を持て余した生徒たちは、白昼夢に入ったり、実際に夢を見たり(つまり、眠るということ、笑)、窓の外を見たり、いろいろして過ごすのだろうが、人生の、しかも青春の貴重な時間を、あのようにして過ごすのは、ほんとうにもったいないと思う。
一斉授業が今後どのように変化していくのかわからないが、生徒の脳のエンゲージメントの強度と質を評価軸にしないと、ただ、学んでいるというスタンスだけのことになってしまう気がする。自分自身の生徒時代を振り返っても、脳を退屈させずにエンゲージさせるためには、いろいろ工夫が必要だった。
いい教師の場合は、100%そっちを聞いているけれども、それほどでもない場合は、70%くらいは聞いていて、あとの30%は、自分の手元の辞書を読んだりとか、適宜タスクを割り振って、脳への負荷の強度と質を維持する、というアプローチが、案外有効だったように気がする。