1960年代から1970年代にかけての「学生運動」の評価はさまざまだろうが、一つはっきりしていることは、その時代の気分を表している名曲がたくさんあったことだと思う。自由や希望といった未来への風が吹いた。
フォークソングは、日本でもアメリカでも、他の国でも、学生運動の象徴的存在だったし、運動自体がすっかり廃れて、輝きを失った今でも、それらの歌は、聞かれているし、映画などで使われることも多い。
なぜそんなことを思い出したかというと、昨年の安保法案の際に盛り上がったSEALDsを中心とする運動に、歌はあったかな、と考えたからだ。コールなどのリズムは、確かに新しい音楽性だったが、そこには、象徴的な歌はなかったような気もする。
映画『わたしの自由について』を見て、私は、SEALDsは新しい音楽だった、という感想を持った。コールの仕方や、打楽器などのリズムが、それまでの運動とは違う音楽だったのである。
映画の上映のあとの討論会で、SEALDsのメンバーの方が、youtubeなどで、海外のactivityのやり方、コールのリズムなどを見て参考にした、と言っていた。そういえば、昨年シカゴで見た、パレスチナに関するデモンストレーションと、音楽が似ている気がした。
リズムなどの音楽性においてはSEALDsは確かに革新したが、その一方で、象徴する歌がなかったのは、運動の力の足りなさか、あるいは、そもそも、音楽というものがそういう位置づけになっていない時代なのか、私にはわからない。
一方で思うことは、ジョン・レノンのImagineやWar is over if you want itや、Give peace a chanceのような、ラブ・アンド・ピースの思想は音楽になりやすいけれども、少数派を迫害するヘイトは、音楽になりにくいということだ。
少数派のやつら、お前ら出ていけ、たたきだぞ、みたいな歌詞が人の心を動かす音楽になるとは、どうも思えない。ラップはどちらかと言えば体制に対する異議申し立てで、体制寄り添いは音楽にならない気がする。