ぼくは、自分の人生で実験するのが好きで、今ブログで連載している小説「オデュッセイア」(https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/cat_149575.html )も一つの実験である。
本当は、意識に関する堅いエッセイの連載でもしようかと思っていた。ところが、その日の朝、夢の中であるものが出てきて、起きてから、ああ、じゃあ、小説の連載でもしてみようかと思って、その日から始めたのである。
以前から、新聞などの連載小説はどう書いているんだろう、と興味を持っていた。特に、夏目漱石は、『三四郎』とか『それから』、『こころ』など代表作の多くが朝日新聞の連載だけど、どうして書けたんだろう、とふしぎに思っていた。
漱石の性格からして、結末まですべて見通していたとはなんとなく思えない。こんなことを書こう、というイメージがあって、あとは毎日の分を書いて、それを新聞に掲載して、書き継いでいったのだろう。
実際にヘボ小説を毎日書いていってみると(今朝で5回め)、今なんとなくわかってきたのが、それまで書いたものはいわば「固定」された過去のようなものになって、それを前提に次の切断面を考えるということで、ちょっと、人生そのものに似ている。