小保方さんが瀬戸内寂聴さんと対談されたそうで、その写真がやせていたとか、ツイッターで話題になっていた。

ぼくはSTAP細胞はあるかないか、確定していないけれども、おそらく難しいだろうと思っている。

再現実験をしようとしてうまくいかなかったわけだから、きっと難しいのだろう。

その一方で、当初から、小保方バッシングの風潮はまったく理解できなかった。
(その逆に、陰謀史観から、小保方さんを擁護する人たちも理解できないけれども。)

科学は、特に実験科学は、再現できるかどうかがすべてで、個人の資質とか、おそらくどうでもいい。

早稲田大学の博士号剥奪の話も、よくわからなかった。

ぼくは、そもそも、博士号という形式にそれほどの意味があるとは思っていない。
(足の裏の米粒のようなもので、とらないと気になるけど、とっても大したことはない、というくらいの認識が正しいのではないか)。

マイケル・ファラデーを持ち出すまでもなく。

小保方さんの問題について、あたかも、ゲートキーパーのごとく、あるいは風紀委員のように、あれこれと言われたいたひとたちのことは、未だに理解できない。

小保方さんご本人の言葉にもあったように、小保方さんはこれから生きていかなくてはならないから、瀬戸内寂聴さんのような、仏教的素養のある方との対談は、助けになったろう。

科学の本質はアナーキーである。

もちろん、なんでもありではなく、理論的な整合性と実験による実証が求められる。

しかし、学級委員たちは、科学の本質にむしろ遠いところにいると思う。

小保方さんのSTAP細胞が正しいとは限らないが、それを執拗に批判していた人たちの態度が正しくないことは、案外自明なことだと思う。