Facebookの方で、「三年前にこんな記事を書いていましたよ」というお知らせがきたので、ちょっと思い出して、こちらに転載しておきます。

あれは中学二年生くらいだったか、一人で留守番していたら、とつぜんおじさんがきた。玄関に来て、ささやくような声で、「ぼうや、おうちに一人? そうかあ。おじさんさあ、時計をつくる会社につとめているんだけどさ、ちょっと、時計、もってきちゃったんだ。すごく高級な時計なんだけど、おじさん、これ、安く売っちゃおうかな、と思って。ぼうや、お小遣いない? すごく高級な時計なんだけど、ぼうやだったら、1000円でいいや。」

中二でも、そのおじさんすごく高級、じゃなくて、すごくあやしい、ということはわかった。

おじさんは、「ほら、これが、その高級な時計だよ」とぼくの顔にひっつくくらいの距離で見せてくれた。
 その文字盤に、書かれていたロゴをぼくははっきり覚えている。

Long Times

ずっと後になって、あの時、おじさんはLongines と間違えて買っちゃう人が出ることを期待していたのだ、と気づいた。

それにしても、あの時のおじさん、ひたむきだったな。なんというか、エネルギーに満ちていた。あれは、人を騙そう、というエネルギーだったのだろうけど。

「お小遣いないから」と断ったら、おじさんは案外あっさり帰って行った。実はちょっと、寂しかった。

今でも鮮明に覚えている、不思議な時間。そして、今になって思う。あの時、千円出して、Long Timesの時計、買っておけば良かったな。

それで、昨日、週刊現代の平野友季記者に言いたかったことは、人間、詐欺師やペテン師や結婚詐欺師みたいな人に出会ってこそ、ああ、世の中にはこういう人もいるんだ、と学んで、初めてセンスが磨かれるのだ、ということでした。

純粋培養はアブナイのです。