ショーンKさんについて、お知り合いだという方からいただいたコメントにすっかり考えこんでしまった。

『太陽がいっぱい』と同じ原作のThe Talented Mr. Ripley(『リプリー』)を思い起こさせる、というのだ。

みなさん、いろいろおっしゃっているけど、私も、ショーンKさんが、学歴について、事実とは違う情報を開示されていたことについては、良くない、と思っていますし、そう書きました。

一方で、そのようなショーンKさんの行動は、学歴や、ハーフや、「ハーバードMBA」といったラベルをありがたがる、世間の価値基準に対する一種の「適応」だという感じがしてなりません。

私は、誰かに接するときに、その人の肩書とか、学歴とか、本当に興味がなくて、その人が何に関心があるか、あることについてどう考えるか、どういう発言をするか、ということにしか注意を向けません。

私が、世間から見れば、少数派、変わり者、だということは十分に認識していますが、もし、ショーンKさんの回りに、私のような変わり者がもっといたら、違ったことなっていたのかな、とも思います。

私にとっては、偏差値入試や、新卒一括採用の問題にもつながる、実質主義と形式主義、自由と抑圧の問題に映るのですが、話がややこしくなるので、これくらいにしておきます。。。。