AERAさん

茂木さんのインタビュー記事が掲載されたaeraを読みました。 その他の東大生特集?も面白かったです。aeraをきっかけに学歴や東大生現象を色々調べていたところ、「東大生が優秀でその肩書きに価値があると考えてるのは、もう当事者である東大生本人(と子どもを東大に入れたがる親)のみではないか」という考えが浮かび、離れなくなってしまいました。 なんだかテレビやネットで東大生を見ていても、わざとかというぐらいみんな顔が似ていて!、「学生の多様性」という視点からみると、本当にがんばって入るに値する大学なのかなと考えてしまいます。

自分に東大に入れるだけの学力がないという事実から、どこか羨む部分もあるのかもしれないと認識している部分もあります。しかし、例えば高校生時期に、「プログラミング」「現代アート」「小説」「ものづくり」など、いわゆる受験勉強以外の領域に没頭し、「偏差値苦笑」の高い大学に行かずに、その道に進む人たちよりも、東大生とその周辺の人たちの方が豊かな人生かどうかというと、気楽に線引きできないように思います。

ぼくは今受験生ですが、現代アートが好きです。特に内藤礼さんが好きで、作品集を見ていて勉強がおろそかになることもあります。しかしあまり自己嫌悪に陥ることもないです。(その結果浪人してしまいましたが)

茂木さんのツイートを読ませて頂くかぎり、「茂木さんの東大批判を批判する人」に対しても冷静に返信していらっしゃって、とても感心してしまいます。言いたいことだけいって後は受け付けない、という人がほとんどの中、すごいな、と思ってしまいます。


「受験勉強の中での勝利」と、「それ以外での領域での何かの達成」において、前者の人は自己語りをしがちに見えますが、後者の方の人はなんだかつつましく、僕は好きです。
茂木さんはどう思われますか?長くなってすみません。

浪人生。

ご回答。

内藤礼さんが好き、というのはそれだけでいいねえ。
内藤礼さん、私の『東京藝大物語』にも出ていらっしゃるので、もし機会があったら読んでみてください。

さて、東大にせよ、どこの大学にせよ、いい人はいるし、自分と志向性の合う仲間はいるから、そういう人に出会うことが、人生の僥倖だと、私は感じています。

東大では、塩谷賢、竹内薫、池上高志などの盟友に会いました。東大以外でも、同じ数、いやそれ以上の大切な友人がいます。

その過程を振り返って思うのは、ひとは、結局、個人だということです。

AERAさんが、素敵でユニークな個人である、ということが、一番大切なんじゃないかな。

内藤礼さんの作品を見ながら、受験、がんばってね!!!



nounandemo