花音 22歳女 学生 

茂木先生、こんばんは。花音と申します、拙い文章で申し訳ありませんが質問させていただきます。 
「学ぶ」ってなんでしょうか? 
本を読んで今まで知らなかったことを知った瞬間からそれは「学んだ」なのか 
それとも、何も見ないでそれについて説明できて初めて「学んだ」と言えるのか。 

私は世界史が好きで今年から自分で勉強を始めてみましたが、身に付いている気がしません。学校の授業のように本を読み、その内容をノートにまとめただけ。 

世界史に関して知らなかったことを知るとめちゃくちゃ感動するのです。面白くて楽しくて疑問が次から次へと出てきてワクワクするのです。 
なのにしっかり覚えられない。感動だけが盛り上がり、記憶にはほんの少しの新しい知識が残っている感じしかしません。ほとんどの事がサラサラと頭を素通りしている感覚です。 

勉強の仕方が間違っているのか?これでは時間の無駄ではないか?私の知的好奇心はどこまで私を動かすことができるのか謎です。こんなものなのでしょうか? 世界史に対する感動は確かにあるのに身に付いている気がしません。 

テスト問題を自作し書いて書いて繰り返し読み込んで暗記をすればいいのか、テストで100点取ることを目標にすればいいのか、口で説明できればいいのか、ノートにまとめればいいのか、知らなかったことを知ることでいいのか、「学ぶ」ことの姿、「学んだ」といえるゴールが分からずしばらく学びの手が止まっています。 

「学ぶ」ってどういうことをいうのでしょうか? 
茂木先生の頭の中にある膨大な知識はどのようにして蓄積されていったのでしょうか? 
ご回答いただけたら幸いです。

ご回答。
花音さんは、いま、とても大切な気付きの入り口にあるとおもいます。
テストで正解するというのは、学ぶということの、ごく一部でしかありません。しかも、それを重視しすぎることは、さまざまな弊害をもたらします。

脳の学習においては、入力とともに、出力も大切です。なにかを学ぶということは、情報が入力するとともに、それを咀嚼した、出力も充実してくるということです。

たとえば、音楽を学ぶということは、知識をたくわえるということだけでなく、演奏や作曲というアウトプットもできる、ということですよね?
そこには、正解があるわけではありません。

歴史を学ぶということも、花音さんが感動した世界史のことについて、お友だちに話したり、あるいは作家の塩野七生さんのように小説に書いたり、そのような意味のあるアウトプットがあって、初めて意義があると言えます。そのようなときに、テストや、その点数は、全く関係ありません。

花音さんに必要なことは、今、自分が夢中になっている学びが、どのようなアウトプットにつながるのだろうか、と考えてみることではないでしょうか。

まずは、周囲の人に、自分が感動した世界史のあれこれについて、話してみたり、あるいは書いてみたりすることから始めるといいかもしれません!

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