文藝春秋に掲載された三浦瑠麗さんの手記を読んだ。

 

 今回の案件の具体的な内容については、私は報道されたこと以上はわからないし、また今捜査が行われているものと思う。

 

 私は友人として三浦瑠麗さんのことを心配しているけれども、それ以上のことは事態の推移を見守るしかないと思う。

 

 それとは別に手記から私が感じたのは、三浦瑠麗さんのお人柄、資質と、世間で抱かれている三浦瑠麗さんについてのイメージが乖離しているということだ。

 

 世間には、三浦瑠麗さんについて、コワモテ、ないしはさまざまなはかりごとをするマキャベリ的な印象があるのだと思う。

 

 それに対して、ご本人は、ご著書『孤独の意味も、女であることの味わいも』にもあるように、どちらかと言えば文学的な感性を持った方のように思われる。

 

 そのような資質、傾向の方が国際政治を専門とした経緯、意味は興味深いがここでは触れない。

 

 いずれにせよ、三浦瑠麗さんの「マキャベリ」的イメージと「文学少女」という実像の乖離から多くの誤解が生まれているように思う。

 

(クオリア日記)