2008年に書いた文章が手もとにあったので。

 

茂木健一郎

 

 私が好きな映画監督は、何といっても小津安二郎である。西洋かぶれだった思春期、『東京物語』を見て衝撃を受け、一週間後新幹線に乗って映画の舞台である尾道に向かった。桜の花がきれいで、千光寺公園から見る尾道水道の表情が印象的だった。小津作品はどれも愛しているが、中でも、『秋刀魚の味』は、繰り返し何回見たかわからない。

 特に好きなのは、宴会のシーンで、いつ見てもじんわりと胸に迫るものがある。笠智衆が演じる平山が、学生時代の親友の河合(中村伸郎)、堀江(北竜二)と酒を酌み交わす。堀江の若い妻を戯れ言のネタにして飲むなど、いかにも気楽な席であるようだが、映画のテーマである人生の「ほろ苦さ」(秋刀魚の味)はそんな場面にも忍び込んでくる。

 小津特有の「ローアングル」からの映像がとらえる人生の酸いも甘いも噛み分けた平山の表情。全てを悟り、引き受け、穏やかに笑っている。今は失われた理想的な一つの父親像。懐かしい、昭和という時代の息吹がよみがえってくる。

 社会的地位も高く、経済的にも余裕のある平山。結婚して独立したはずの息子幸一(佐田啓二)の無心にも、周囲に気付かれぬようにさり気なく応えてやる。日常は何ごともなく過ぎていくようであるが、そんな平山家にも時間の流れとともに避けることのできない変化の影が忍び寄ってくる。

 平山は、娘の路子を嫁にやれと周囲から言われているが、「まだいい」となかなかその気にならない。平山の亡き妻のかわりに家を切り盛りしてきた娘の方も、私が行けば父が困るから、嫁に行くのはまだ先だと思っている。

 そんな平山を本気にさせるのは、同窓会で再会した恩師佐久間(愛称「ヒョータン」、東野英治郎)の姿である。口がおごった平山たちにとってはなじみ深いハモのお椀も、ヒョータンは「鱧」という漢字だけ知っていて食べたことがない。学生たちの間で「きれいでかわいい」と評判だった佐久間の娘は、父であるヒョータンが「つい便利に使ってしまって」いるうちに嫁に行きそびれた。生活の苦労に疲れ果てて、かつての面影はない。

 路子を早く嫁にやらないと、自分もまたヒョータンのように無惨な姿をさらすことになる。父として、平山は決断する。路子にそれとなく聞いてみると、どうやら兄の幸一の親友、三浦(吉田輝雄)を好きらしい。

 ところが、三浦には、すでに決まった人がいたのだった。「お父さんがもう少し早くその気になっていたら」と路子に謝る平山。「いいの、私、後悔したくなかっただけなの」と案外平気な顔の路子。しかし、自分の部屋に入った路子は、哀しみの涙を流す。

 路子を追いかけて二階に上がった平山が、穏やかに声をかける。「下においでよ。お茶でも飲まないか。」さりげないシーンの中に、平山の父としての愛情があふれ出る。ほんの少しのこと、ちょっとしたタイミングで誰と結ばれるかが変わってしまう、運命というものの怖ろしさと福音。人生の真実を静かなタッチで描く小津映画の一つの頂点がここにある。

 映画が公開されたのは、大戦の傷跡も癒え始めた昭和37年。戦後の復興期、父親たちは必死になってがんばってきた。「軍艦マーチ」が流れる中、平山と、海軍時代の部下坂本(加東大介)が戦争をふりかえる、『秋刀魚の味』の中の屈指の名シーン。「でも、負けてよかったじゃないか」とふともらす平山の一言に、昭和の父親たちが引き受けてきたものの重さがにじみ出る。

 思えば、平山に代表される昭和の父は、立派だった。負けても立ち上がり、満員電車に揺られ、ものづくりに励み、モーレツサラリーマンになり、エコノミック・アニマルと言われてもかまわず、家族のためにがんばってきた。そんな時の流れの中で、ふと気付いてみるといつの間にか人生の秋を迎えている。子どもたちは離れていく。体力、気力も思うに任せない。

 路子の結婚式から帰ってきた平山。酔っぱらっていて、いつもの紳士然とした落ち着きがない。一番下の息子、和夫(三上真一郎)が「もう寝ろよ」と言っても、ちゃぶ台の前に座り、軍艦マーチを歌い、「ひとりぼっちか」とつぶやく。

 ラストシーン。水を飲むために台所に向かった平山に訪れる「崩壊」。それまで耐えてきたこと、隠してきたことが奔流のようにあふれ出て、平山はひとりの人間となる。昭和の父親たちのために小津安二郎が用意した、すばらしいカタルシスである。

 昭和はすっかり遠くなり、父親像も変わった。それでも、描かれる人間の姿が普遍的なものだったからこそ、『秋刀魚の味』は人生の真実を描いた映画史上に輝く傑作として、世界中の人々に愛されている。『秋刀魚の味』によって、昭和の父親は永遠の存在となったのである。