[光る君へ関連] 宇治陵 (藤原北家関連墓地) | コンデジ片手に出かけよう

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平安時代の元慶年間、藤原北家出身で初の関白となった藤原基経が「相地之宜、永為一門埋骨之処 (一門の骨を同じ場所に埋めるべきである)」として、木幡(宇治市)と呼ばれるこの地を藤原北家一門の埋骨地と定めます。以降、平安時代末期まで、藤原北家の墓所(埋骨地)となりました。



1877年(明治10年)、当時の宮内省は、木幡墓所に葬られている藤原北家出身の天皇の后妃たちの陵墓を比定するため調査を行います。このとき17陵3基が陵墓に比定されて「木幡陵」と名付けられています。



宇治陵1号が総遙拝所とされ、宮内庁の看板とそこに埋葬されている皇室関係者の名前が書かれています。


実は藤原道長も宇治陵に埋葬されているといわれますが、正確にどの位置なのかは不明です。ただ、32号墳を藤原道長の墓とする説もあります。