[光る君へ] 『第16回・華の影』のあらすじ他 | コンデジ片手に出かけよう

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私の旅の思い出を紹介します。


<あらすじ:NHKサイトでの概略紹介> 
石山寺からの帰路、まひろ(吉高由里子)は思いかけず、さわ(野村麻純)を傷つけていることを知り落胆する。宮中では、後宮に伊周(三浦翔平)や弟の隆家(竜星涼)らが集い賑わう中、詮子(吉田羊)が現れる。一条天皇(塩野瑛久)らが緊張する中、伊周は…。その頃、都で疫病がまん延していた。ある日、たね(竹澤咲子)がまひろを訪ね、悲田院に行った父母が帰って来ないと助けを求める。悲田院でまひろが見たのは…。


<光る君へ紀行紹介地>
「奈良県奈良市」(興福寺&墨つくり)が紹介されました。


日本の長い歴史の中で欠かすことのできない文具の一つ、墨。
平安時代に編纂(へんさん)された『延喜式(えんぎしき)』には図書寮(ずしょりょう)と呼ばれる役所などのほか、丹波国や播磨国など、各地で墨づくりが行われていたことが記されています。

主に公文書の作成や写経に使われた墨。仮名文字が生まれ、文字が普及したことによって墨の需要が高まり、のちに「油煙墨(ゆえんぼく)」が作られるようになりました。藤原氏の氏寺・興福寺。国産の油煙墨はこの地で初めて作られたといい、寺の周りに墨職人が多く集まりました。
奈良では今も伝統的な墨づくりが行われています。
私たちの生活に身近な墨にも長い歴史が秘められているのですね。



<気になるキーワード>
◎藤原道綱母(蜻蛉日記作者)の影響で日記を書こうとし始める「まひろ」
「紫式部日記」「源氏物語」につながる伏線ですね。

◎芸術系にたけた中宮・定子
一条天皇の中宮・定子のサロン。結構レベルが高いです。

◎香炉峰の雪
一条天皇の中宮・定子が清少納言に問いかけた『少納言、香炉峰の雪はどんなでしょう?』それに対して閉め切った御格子を上げさせ御簾をめくり上げる清少納言。枕草子 二九九段『雪のいと高う降りたるを』からの出典ですね。ただ、それだけで終わっていないのが脚本家・大石静さんのすばらしさです。



◎中宮・定子たちの雪遊び(ゆきまろげ)
源氏物語第帖・朝顔に雪遊び(ゆきまろげ)を行うシーンがあります。この辺りを意識した演出家さんのストーリー構成はやはり素晴らしい。



◎世間(民衆)を想う一条天皇と一族の事しか考えない藤原道隆
世間(民衆)に疫病が蔓延していることを心配して何らかの対策をとりたい一条天皇。それに対し「今流行っている疫病は高貴な人(皇室・高級貴族)はかからない」と言って対策を考えずに自分の家族の地位を重視する藤原道隆。この違いは大きいですよね。


◎非田院で疫病にかかった「まひろ」と再会する藤原道長
非田院で疫病にかかった「まひろ」と再会する藤原道長。源氏物語に疫病は書かれていない雰囲気もありますが、実は源氏物語第5帖・若紫で光源氏と若紫が出会ったのは「光源氏が瘧病(おこり:マラリア)にかかってその治療のために北山を訪れた時の事。そう考えると、うまく「光る君へ」の中に源氏物語要素を盛り込んでいます。


あと、第16回の最初のシーンは藤原道綱と「まひろの友人・さわ」のエピソード。これは源氏物語で言うと第3帖・空蝉の出来事と考えれますよね。


◎源倫子の不敵な笑み
藤原道長が高松殿(源明子)以外の場所で女性と会っていたことを察知した後の不敵な笑い。「重陽の菊のふせ綿」への伏線でしょうね。



<注目したポイント>
◎平安京で蔓延した疫病
陰陽道の考えで疫病の蔓延を予告した安倍晴明、見事です。そして、この時代に流行ったのは、994年正月に九州から流行がはじまり、995年にかけて全国に広まった疱瘡(天然痘)だったそうです。


現代は上下水道などのインフラが整備され、医学の発達もあり天然痘など撲滅された疫病がありますが、平安時代中期は人々の防御策は限られていたので大変だったと思います。そして近年では「新型コロナウィルス」の蔓延がありましたが、「疫病は外から入ってくるので注意」「疫病にかかった人は隔離」なんていうのは現代でも変わらないなって思いました。
※京都で疫病退散などを目的とした神社の祭りや平安時代から続く季節の風習などはまとめてみたいです。