[光る君へ] 『第14回・星落ちてなお 』のあらすじ他 | コンデジ片手に出かけよう

コンデジ片手に出かけよう

私の旅の思い出を紹介します。


<あらすじ:NHKサイトでの概略紹介> 
仕え先を探すまひろ(吉高由里子)は、土御門殿からの帰りに道長(柄本佑)と鉢合わせてしまう。久しぶりの再会だったが・・・。ある日、兼家(段田安則)は道長らを呼び、道隆(井浦新)を後継者にすると告げる。道兼(玉置玲央)は納得がいかず、激高する。やがて兼家が逝去。跡を継いだ道隆が摂政になり、独裁を始める。一方まひろ(吉高由里子)は、たね(竹澤咲子)に読み書きを教えていたが、厳しい現実が待ち受けていた。


<光る君へ紀行紹介>
第14回では、京都府宇治市の宇治橋が紹介されていました。


藤原兼家。熾烈な権力争いの中で、一族の栄華の礎を築いた一人として知られています。兼家の妻の一人、藤原道綱母によって書かれた『蜻蛉日記』からは、若き日の兼家の姿をうかがい知ることができます。
京都府・宇治市を流れる宇治川。『蜻蛉日記』には、道綱母が長谷寺へ詣でた帰り道、都からわざわざ迎えに来た兼家と、現在の宇治橋付近で、川をはさんで歌を詠みあったことが記されています。



『蜻蛉日記』中盤に書かれている鵜飼い。宇治川の夏の風物詩として今も行われています。このころの日記には、出世し、栄華を極めていく兼家の姿が多く記されています。『蜻蛉日記』の中には、一人の妻の目線から見た兼家のさまざまな表情が残されているのです。



<気になるキーワード>
◎藤原兼家の出家と波乱
死期が近いと感じた兼家、跡を継いだのは長男・道隆でしたね。それに起こったのが道兼。まあ、一族の栄華を無理やり作るとなると歪を生じます。



◎藤原兼家の死と道長の対応
摂関政治を作り上げた形になる巨星・藤原兼家が死去し、その亡骸を抱きしめる道長。「死は穢れたもの・忌みべきもの」という当時の貴族の観念からすると少し変わった行動です。


◎兼家を呪詛していた源明子の異変
手に入れた扇を使って兼家を呪詛していた藤原道長の妻・源明子。念願かなって兼家は死去しましたが、流産したような感じです。ただ、そんな明子を慰めるように優しい道長。この瞬間から、明子は道長に対する態度も変わったんでしょうね。


◎筑前守に任ぜられた藤原宣孝
筑前守というと現在の福岡県知事みたいなものと紹介されますが、実は重要な役職。筑前は大陸や半島とも近いので外交的な役目もしていたと思います。



◎離婚してまでも上を目指す清少納言
夫・橘則光と離婚してまでも上を目指した清少納言。『金葉和歌集』に入選するほどの歌人であったが、『枕草子』八〇段では少納言の謎かけにも気づかず、歌も詠まない人物であると描写されています。まあ、価値観の違いが大きかったんでしょうね。



<注目したポイント>
◎仲の良い一条天皇と中宮・定子(藤原定子)
正暦元年1月25日(990年2月23日)、数え14歳の春に、3歳年下の一条天皇に入内した藤原定子。最初は女御だったのですが、同年10月5日(990年10月26日)に皇后に冊立され「中宮」を号していますね。
幼い一条天皇からしたら、年上の定子(藤原定子)は面倒見の良い良い遊び相手だったと思います。そして、その関係を将来的にまひろ(紫式部)が打ち砕くために様々なスキルを発揮するはずです。