[光る君へ] 高松殿址 (源明子の実家) | コンデジ片手に出かけよう

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光る君へ第12話で、源明子の実家として登場した高松殿。現在は「高松殿址」の駒札と石柱があるだけになっています。駒札自体は新しいので、大河ドラマ放映にあわせて新しくしたのかもしれませんね。


高松殿址の駒札&石柱がある場所は、現在の高松神明神社の鳥居付近になります。
また、高松神明神社は、源高明が高松殿の鎮守として伊勢神宮の天照大神を勧請したことに始まります。



<高松殿址の説明 (京都観光Naviより)>
高松殿は、醍醐天皇の皇子、西宮左大臣と呼ばれた源高明(たかあきら)(914~982)の邸宅で、「拾芥抄(しゅうがいしょう)」に「姉小路北 西洞院東 高明親王家」と記 されている。  高明の娘、明子は、当所に住して高松殿と称され、後に藤原道長の室となった。その後、三条天皇の皇子小一条院の御所ともなったが、文献では、治安元年(1021)と、更に百年後の保安元年(1120)に焼亡記事が見える。  院政期の久安2年(1146)には、鳥羽上皇の命により新造され、造営には、後に大蔵卿となった長門守源師行(もろゆき)が当たっている。久寿2年(1155)には、後白河天皇が当所で即位し、保元2年(1157)まで内裏となり、高松内裏とも称された。  保元の乱(1156)の際には、崇徳上皇方の白河北殿に対して、後白河天皇の本拠地となり、源義朝(よしとも)や平清盛(きよもり)らの軍勢がここに参集して、白河の地へ攻め込んだことはあまりにも有名である。  その後、平治の乱(1159)に御所は焼失するが、邸内に祀られていた鎮守社高松明神は、現在も高松神明神社として残る。




地図は平安時代の様子を復元したもので、ドラマ・光る君へと関連深い「東三条殿(藤原兼家邸宅・藤原道長実家)」の隣だったんですね。



京都文化博物館にあった「紫式部ゆかりの地マップ」では次のような説明もありました。



高松殿址(高松神明神社)には複数回訪れた経験がありましたが、ドラマ・光る君へでこの場所と関連する「源明子」「源俊賢 (みなもとのとしかた:明子の兄)」「藤原詮子」の配役が決まったことについてこんな表示もありました。


あと、ドラマ・光る君への影響でしょうかこんな漫画説明がありました。


漫画のタイトルは「あきことアマビエ」。ちょっと面白そうです。