[京都の3月] 三十三間堂の春桃会2024 | コンデジ片手に出かけよう

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私の旅の思い出を紹介します。


今回で記念すべき第20回を迎えた三十三間堂の「春桃会」を訪れました。


本年の開催は日曜日で、無料開放とのことですので複数のメンバーで訪れています。妻を含む女性はこの日限定の「女性専用お守り」なんかも買っていました。



「三十三間堂」の通称は、堂内の内陣にある柱間が33あることから、そして桃の節句が3月3日なので「春桃会」なんですね。かつては、故瀬戸内寂静さんが講演会などをされていたことがあります。また、「33」は観音菩薩に縁のある数字で、『法華経』等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによる。俗に「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」というのは、本尊と脇仏の一千一体がそれぞれ33に化身するからと言われています。



三十三間堂にも河津桜があります。ただ、満開まではもう少し時間がかかりそうな感じでしたね。



あと、お堂の南東に白梅・紅梅があるのですがこちらは見ごろ過ぎでした。



三十三間堂は蓮華王院(れんげおういん)で、天台宗の古刹。鎌倉時代に再建された本堂は南北約120メートルの長大なお堂で国宝に指定され、安置されている本尊千手観音坐像はじめ千体千手観音立像など諸仏すべてが国宝です。千手観音立像は、平成30年(2018)にそのすべてが国宝指定されたことを記念して、国立博物館に寄託されていた像が本堂に還座し、1,001体が勢ぞろいしました。(文章および写真は、三十三間堂公式サイトより引用)




三十三間堂と関連が深いのは後白河上皇(1127-1192)。上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて完成させたもの。本尊千手観音像には手が40本あり、それぞれの手には25の目があると説明されていました。40X25=1,000ですから、それぞれの千手観音を形にしているんですね。



後白河上皇の時代は、上皇(太上天皇)または出家した上皇である法皇(太上法皇)が天皇に代わり政務を行う院政と呼ばれる時代。ドラマ「光る君へ」では、藤原家などの貴族が子供を天皇に嫁がせて権力をもつ「摂関政治」ですが、それは藤原道長の時代に終焉を迎えます。そして上皇が権力を持つ「院政」となり、貴族などの守護をおこなっていた武士が権力を持つ時代へと変わっていきますね。そして、平安時代には疫病蔓延などがあり世の中に不安を持っていた皇族貴族などが仏教に熱心になっていきます。
歴史を考えると皮肉なことと思いますが、出家した花山天皇(上皇)が世のはかなさを願いて観音巡礼を行ったことで「西国三十三所巡礼」などの観音信仰も盛んになってるんですね。





◇三十三間堂の公式サイト◇

https://www.sanjusangendo.jp/