[京都の節分] 平安時代を思わせる平安神宮大儺之儀2024 | コンデジ片手に出かけよう

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平安神宮は1895年に平安遷都1100年を記念して創建された神社。社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院を模し、実物の8分の5の規模で復元されたものになります。そして節分には平安朝の行事を模した「大儺之儀(だいなのぎ)」が行われるので一部だけ見に行きました。
平安神宮の行事は昭和49年、故猪熊兼繁(いのくまかねしげ)京都大学名誉教授の時代考証によって復元されたもので、平安朝当時の「大儺之儀」が式次第、作法、祭具、装束にいたるまで綿密に再現されており、平安京の正庁である朝堂院を模した平安神宮の社殿にて行われます。※Top写真は、大儺之儀で重要な役目を果たす方相氏(ほうそうし)


斎場は、四隅に忌竹(いみたけ)を立てて注連縄を張り巡らし、陰陽五行の思想にちなんで、北東に青、南東に赤、南西に白、北西に黒(紫)の四垂が掛けられます。これは四方を守る神獣である蒼龍(そうりゅう)、朱雀(すざく)、白虎(びゃっこ)、玄武(げんぶ)に因むものです。



まずは、斎場の中が清められます。その時ですが、平安神宮の入り口にあたる応天門(おうてんもん)の中央門は閉じられていました。これは斎場でお清めが行われている時に、災いなどが入ってこない為ですね。



次に方相氏が複数の人を伴い斎場内を右回りに廻ります。これは、ちゃんと清められているかの確認ですね。




応天門の中央扉が開放され、そこから方相氏一行が出てきます。



まずは方相氏が矛と縦を打ち付け、南西・南東を清めます。



次に、別の人が出てきて南東・南西に向かって桃の矢を放ちます。



最後に桃の太刀を持った人が、南方向を切り裂きます。



方相氏は、元々は災いを遠ざける目的だったのですが、見た目が異形なためにやがては終われる立場になり、丑寅方向が鬼門なために現在見られるような『鬼』に変化していったんですね。