[源氏物語あらすじ] 第31帖・真木柱(まきばしら) | コンデジ片手に出かけよう

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第31帖・真木柱は光源氏37歳冬から38歳新春のことを書いています。

※Top写真は佐賀県唐津市にある鏡神社。『第22帖・玉鬘』から『第31帖・真木柱』までは、玉鬘十帖と呼ばれる源氏物語でも光源氏の一生と関連が薄い外伝的状なのでTop写真を統一しています。
※この項目は、関連事項などの記事をアップしたらリンクアップデートします。


帖名の「真木柱」は髭黒の娘・真木柱が詠んだ和歌「今はとて宿かれぬとも馴れ来つる真木の柱はわれを忘るな」からきています。


源氏物語を現代語訳された与謝野晶子さんは、次のような和歌を載せています。
「こひしさも 悲しきことも 知らぬなり 真木の柱に ならまほしけれ」


<あらすじ>
尚侍として出仕を控えていた玉鬘だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に契りを交わしてしまう。
髭黒大将はその後玉鬘を迎えるために邸の改築に取り掛かり、髭黒大将の北の父・式部卿宮は実家に戻らせようと考える。
そして、髭黒大将が玉鬘のところへ出発しようとした時、北の方に香炉の灰を浴びせられます。
この事件の後、式部卿宮は髭黒の留守の間に北の方と子供たちを迎えに行くことに。そこで娘(真木柱)は別れの歌を邸の柱に残して泣く泣く連れられていきます。

明けて新年になり、玉鬘は参内。冷泉帝は熱心に想いを訴たので、髭黒大将は玉鬘を自邸へ連れ帰ってしまいます。やがて玉鬘は男子を出産し、髭黒の正室として家庭に落ち着いた。


<第31帖・真木柱の主な出来事>
◎玉鬘を得た鬚黒大将    
<参考事項> 女房の役割

◎玉鬘の宮仕えと結婚生活

◎鬚黒大将の北の方(正妻)の嘆き

◎北の方が鬚黒大将に香炉の灰を浴びせる

◎鬚黒大将の北の方を父・式部卿宮が迎えに来る    

◎柱の隙間に和歌を残す娘・真木柱

◎鬚黒大将が誤るために式部卿宮家を訪問

◎鬚黒大将は男子二人のみ連れ帰る

◎新年になって玉鬘が参内

◎冷泉帝が玉鬘のもとへ訪れ和歌を詠み交す

◎十一月に玉鬘が男子を出産