[京の四季] 今宮神社・やすらい祭 (4月第2日曜) | コンデジ片手に出かけよう

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※写真は2016年に撮影したものになります。
毎年の4月第2日曜に今宮神社で行われる「やすらい祭」。鞍馬寺の鞍馬の火祭、広隆寺の太秦の牛祭とともに京都の三大奇祭の一つに数えられていて、社伝によると、桜の散り始める陰暦3月に疫病が流行したので、花の霊を鎮め、無病息災を祈願したのが祭りの起こりといわれます。



今宮神社は、平安遷都以前より疫神を祀る社があったといわれる場所。平安時代後期、洛中に疫病や災害が蔓延し、京都の人々を大いに悩ませた。天変地異はすべて御霊(怨霊)の所業と考えられていた当時、これらを鎮めるために各所で御霊会(ごりょうえ)が営まれました。


「やすらい人形」と呼ばれるものがあり、人にとりつく災いや疫病の種などを人形(ひとがた)に移して厄除けなどを行うというものです。



今宮神社の「やすらい人形」は鬼と一緒の真赤な着物を着ています。現在は大祓の日(6/30)に焼納するのですが、古くは難波津(現在の大阪湾)に流したとも言われています。



花と共に飛び散る疫神を鎮めるためのこの祭は、「はなしづめ」「鎮花祭」の流れをくむ祭で、別名「やすらい花」ともいい、春の祭のさきがけ。平安の昔、サクラの散る頃になると疫病が流行したので、疫病退散を願って始まりました。そんな「疫病退散祈願」のやすらい祭りも2020年・2021年と新型コロナウィルスの影響で規模を縮小し、行列を中止し神事のみで挙行されています。



994年(正暦五年)に都に疫病が流行したのをきっかけに営まれた「やすらい祭」ですが、応仁文明の乱で一時中断。しかし1694年(元禄七年)に5代将軍徳川綱吉公の生母桂昌院により社殿の造営、神輿、御鉾の寄進とともに再興され今日に至っています。

 

 

<京都検定公式テキストでの記載>
四月に入ると京都では桜花爛漫の季節を迎える。その桜花が散っていく時期に行われるのが「やすらい祭」である。「やすらい花」とも呼ばれる。



洛北の四地区(今宮やすらい会・上賀茂やすらい踊保存会・川上やすらい踊保存会・玄武やすらい踊保存会)に伝承され、国の重要無形民俗文化財に指定されている。



かつて旧暦では3月10日、新暦では4月10日に行われていたが、現在では4月第二日曜日とされている(上賀茂のみ5月15日)。



京都の春の祭りのさきがけともいわれ、この日が晴れれば、その年の京都の祭りはすべて晴れるといわれる。



京都市北部北区紫野にある今宮神社の摂社・疫社の祭礼であり、かつては各地区とも町内を練りながら今宮神社に巡行していたが、現在、玄武やすらい踊今宮神社へは参らず、上賀茂やすらい踊は今宮神社に遥拝する形をとっている。



春に蔓延する疫病を鎮めることを目的に行われるといわれ、昔の人々は、桜花が散る時に疫病の原因とされた疫神も飛び散るので、疫神の根源を美しい花笠に集めて、疫社に封じ込めるようにしたのである。そのことから「花静めのまつり」ともいわれている。一番の特徴は、春の花々で美しく飾られた大きな傘である。



この笠は花傘・風流傘などと呼ばれ、この中に入ると厄を逃れることが出来ると伝えられてきた。今日でも花傘が町内にやってくると、人々はこぞって傘の下に入り無病息災を願う。



赤熊(しゃぐま)と呼ばれる赤毛・黒毛をつけた四人の鬼が鉦や太鼓をたたき飛びかいながら氏子地域を練り歩く。