交野天神社は「かたのあまつかみのやしろ」とも読まれることがあります。『続日本紀』及び『岩清水神宮 縁起』によると、桓武天皇が延暦6年(787年)、交野に父光仁天皇を祀るための郊祀壇を設けたとあり、ここがその地とされています。
本殿は1402年(応永9年)建立の一間社流造で檜皮葺。隣接して末社八幡神社本殿が並んで建ちます。尚、本殿は1238年と1401年に修理されたという記録があります。
また、この場所は継体天皇の樟葉宮跡と伝えられています。
<交野天神社の基本情報>
拝観時間:自由拝観
拝観料 :無料
紹介サイト :なし
御祭神 :光仁天皇・天兒屋根命・菅原道眞
創建年 :787年 (延暦6年)
住所 :大阪府枚方市楠葉丘2-19-1
★樟葉宮跡と継体天皇★
本殿の北東に貴船神社の末社があり、この場所は第26代継体天皇の樟葉宮跡と伝えられています。
『日本書紀』によると、25代武烈天皇の死後、応神天皇5世の孫である男大迩王(をほどのおほきみ)が大伴金村、物部麁鹿火、巨勢男人らによって越前の三国より迎えられ、507年にこの河内国樟葉で継体天皇として即位し5年ほど宮を営みました。
その後に「山背国筒城宮(現京田辺市付近)」、12年後に「弟国宮(現長岡京市付近)」に移り、 継体天皇が大和国に入ったのは20年後のこととされます。