ミラノのアンプロ―ジアナ図書館絵画館からレオナルドの「音楽家の肖像」や素描
思索の跡を探るには欠かせない「アトランティコ手稿」が20数点
その影響下にある画家の作品もたくさん来ています
わたしはまだ見ていないのですが、実は「手稿」に一番関心があります
でも
では視点が低くて見づらいでしょう 図録でもなかなか見づらい
実際に見てから、また報告しますね 
2010年は上海万博でした 次の2015年はミラノ万博TBS世界ふしぎ発見5/11 pm.9~ はダ・ヴィンチ展関連番組です
では視点が低くて見づらいでしょう 図録でもなかなか見づらい
実際に見てから、また報告しますね 
2010年は上海万博でした 次の2015年はミラノ万博
東京ノーヴィ・レパートリーシアターが毎月2度ずつシアターχで行っている公演、今月は5/10(金)pm.19:00~、5/11(土)pm.15:00~
代金1000円 まっ
公演時間3時間半
4月の公演
シャウワと歌う
には思わず
しました

ひよどん、何を考えているの
What are you thinking about so long, Bulbul ?夏目漱石の美術世界展 にはターナーのこんな作品も
「金枝」(1934)
夏目漱石の「坊ちゃん」の前半にこんなシーンがあります
坊ちゃんが赤シャツと野だに舟遊びに引っぱり出されるシーンです
船頭はゆっくりゆっくり漕いでいるが熟練は恐しいもので、見返えると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。高柏寺(こうはくじ)の五重の塔が森の上へ抜け出して針のように尖がってる。向側を見ると青嶋が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松ばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですね。どうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。舟は島を右に見てぐるりと廻った。波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほど平だ。赤シャツのお陰ではなはだ愉快だ。出来る事なら、あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙ってた。すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々はこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑だ。おれには青嶋でたくさんだ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。なに誰も居ないから大丈夫ですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれは何だかやな心持ちがした。マドンナだろうが、小旦那だろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。これで当人は私も江戸っ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染の芸者の渾名か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺めていれば世話はない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。
自分と同じ英語教師である赤シャツだと、どこかで自嘲気味に語ったことがあります
知の勝ちすぎたおのが姿を赤シャツに戯画化して投影したところもあるのでしょう
小説家は自分の中にある要素しか書くことができません
坊ちゃんに自己を表出したように、赤シャツにも漱石が投影されているのです
漱石は「坊ちゃん」の登場人物中で自分にもっとも近いのは