居酒屋なると -37ページ目

居酒屋なると

なるたけ毎日更新します❄仕事終わりにでもお立ち寄りください

東京・上野の東京都美術館ダ・ヴィンチ展が開かれています →6/30

ミラノのアンプロ―ジアナ図書館絵画館からレオナルドの「音楽家の肖像」や素描
思索の跡を探るには欠かせない「アトランティコ手稿」が20数点
その影響下にある画家の作品もたくさん来ています

わたしはまだ見ていないのですが、実は「手稿」に一番関心があります
でも車椅子では視点が低くて見づらいでしょう 図録でもなかなか見づらいショック!

         音譜 実際に見てから、また報告しますね べーっだ!

クリップ2010年は上海万博でした 次の2015年はミラノ万博
TBS世界ふしぎ発見5/11 pm.9~ はダ・ヴィンチ展関連番組です
合格 東京ノーヴィ・レパートリーシアターが毎月2度ずつシアターχで行っている公演、今月は5/10(金)pm.19:00~、5/11(土)pm.15:00~
レパートリーはともに「白痴」 やっぱり先月と同じ 叫び代金1000円 まっまさか  公演時間3時間半
    5/11にはアフタートークも…わたしも行きます  右4月の公演

ドストエフスキーの「白痴」は現代的な恋愛小説としても読むことができます
黒沢明も映画にしてますし、ソフィー・マルソーの「狂気の愛」という作品もあります
わたしもドストエフスキーの小説の中で一番最初に読み通して面白かった作品です
ところがそのあとでなかなか消化できなかった

ムイシュキン公爵を演じるのは「コーカサスの白墨の輪」でも
目の覚めるような裁判官アツダクを演じた菅沢晃です
また来月は6/12「コーカサス」ですが、本当にすごかった 叫び シャウワと歌う音譜には思わずパチパチしました

それはともかく「白痴」をわたしはまだ充分読み直していませんが、演出のアシモフの照明には驚きました

照明の勝利です…一つ一つ照明が的確なのです 床に貼られた反射板が登場人物の顔を陰影深く照らし
ラストにムイシュキンとロゴージン、そしてロゴージンが殺したナスターシャの遺体が
夜を明かした家の戸板を斧で割って、明かりが射し込むところまで素晴らしいのです
「Idiot~ドストエフスキー白痴より~」の稽古風景




           核兵器は絶対悪である …絶対悪とは無条件にということです

わたしはこのことをずっと信じてきました
少なくとも自分が男であることより、よほど確かなことでした

ほかの方がどうお考えかどうかは知りません これはわたしの信仰です

ともかくジュネーブの「共同宣言」を読みたくて、国連やNPTのHPをさがしました
でもぼくの情報処理能力は見つからず、広島平和資料館の和田さんに一緒にさがしていただきましたありがとう

まだ見つかりません…見つかったらここに載せたいと思います
もしいちはやくお読みになった方は、どうかダウンロードの方法を教えてください  お願いしますおねがい
$居酒屋なると去年の朝顔の種を拾いきれずに地に落ちて
知らないうちに発芽していつの間にか双葉が出てました
小玉一子さんが見つけてくださいました
$居酒屋なると
               合格今朝の鉢はあさがおばかり8輪ですSAYU照♪

 目 鉢に植え直してもらったら、もうこんなに大きい

朝顔いつも通りなのですが…ちなみに今日は7つ              後ろの松葉杖aをみてください ガーン

居酒屋なると

居酒屋なると    →  サーチ  →

2日前の午後でした … おなかがグルグルで走ってRUNNERトイレへwc

焦ったもので派手に転んでしまいましたショック! …もちろんうんちもちょっともれたしょぼん

その時は気がつかなったし、きのうも丸1日この杖で歩いたのに何も気がつきませんでしたドクロ

居酒屋なると

夏目漱石の美術世界展 にはターナーのこんな作品も

                              「金枝」(1934) →              

夏目漱石「坊ちゃん」の前半にこんなシーンがあります
坊ちゃんが赤シャツと野だに舟遊びに引っぱり出されるシーンです


 船頭はゆっくりゆっくり漕いでいるが熟練は恐しいもので、見返えると、浜が小さく見えるくらいもう出ている。高柏寺(こうはくじ)の五重の塔が森の上へ抜け出して針のように尖がってる。向側を見ると青嶋が浮いている。これは人の住まない島だそうだ。よく見ると石と松ばかりだ。なるほど石と松ばかりじゃ住めっこない。赤シャツは、しきりに眺望していい景色だと云ってる。野だは絶景でげすと云ってる。絶景だか何だか知らないが、いい心持ちには相違ない。ひろびろとした海の上で、潮風に吹かれるのは薬だと思った。いやに腹が減る。「あの松を見たまえ、幹が真直で、上が傘のように開いてターナーの画にありそうだね」と赤シャツが野だに云うと、野だは「全くターナーですねどうもあの曲り具合ったらありませんね。ターナーそっくりですよ」と心得顔である。ターナーとは何の事だか知らないが、聞かないでも困らない事だから黙っていた。舟は島を右に見てぐるりと廻った。波は全くない。これで海だとは受け取りにくいほど平だ。赤シャツのお陰ではなはだ愉快だ。出来る事なら、あの島の上へ上がってみたいと思ったから、あの岩のある所へは舟はつけられないんですかと聞いてみた。つけられん事もないですが、釣をするには、あまり岸じゃいけないですと赤シャツが異議を申し立てた。おれは黙ってた。すると野だがどうです教頭、これからあの島をターナー島と名づけようじゃありませんかと余計な発議をした。赤シャツはそいつは面白い、吾々はこれからそう云おうと賛成した。この吾々のうちにおれもはいってるなら迷惑だ。おれには青嶋でたくさんだ。あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちゃ。いい画が出来ますぜと野だが云うと、マドンナの話はよそうじゃないかホホホホと赤シャツが気味の悪るい笑い方をした。なに誰も居ないから大丈夫ですと、ちょっとおれの方を見たが、わざと顔をそむけてにやにやと笑った。おれは何だかやな心持ちがした。マドンナだろうが、小旦那だろうが、おれの関係した事でないから、勝手に立たせるがよかろうが、人に分らない事を言って分らないから聞いたって構やしませんてえような風をする。下品な仕草だ。これで当人は私も江戸っ子でげすなどと云ってる。マドンナと云うのは何でも赤シャツの馴染の芸者の渾名か何かに違いないと思った。なじみの芸者を無人島の松の木の下に立たして眺めていれば世話はない。それを野だが油絵にでもかいて展覧会へ出したらよかろう。


自分と同じ英語教師である赤シャツだと、どこかで自嘲気味に語ったことがあります

知の勝ちすぎたおのが姿を赤シャツに戯画化して投影したところもあるのでしょう


小説家は自分の中にある要素しか書くことができません

坊ちゃんに自己を表出したように、赤シャツにも漱石が投影されているのです

漱石は「坊ちゃん」の登場人物中で自分にもっとも近いのは