2024.4.12(金)

 

  多武峰・飛鳥の里コース 6㎞多武峰バス停~談山神社~飛鳥大仏バス停

近鉄ハイキング あみま倶楽部

 

今回は、桜井市の多武峰までバスで行き、飛鳥へ行くコースだ。

 

このコースを見るまで、桜井市の奥の談山神社と、あの飛鳥が、歩いて行ける距離だということを知らなかった。

 

てくてくマップという、イラストで描かれた地図を見ると、なんだか行けそう!

しかも6㎞しかない。楽勝だわ!と…

 

友人を誘い、天気の良さそうな日を選び決行。

 

前日の夜、てくてくマップを見ながら、グーグルマップで実際の道を確認する。

こ、これは、山越えの道ではないか…と、その時、初めて気が付く。

 

ダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジダイヤオレンジ

 

多武峰までは、1時間に1本しかない桜井市のコミュニティバスに、桜井駅南口から乗って行く。

 

9時半前、最寄りの駅からJRに乗り桜井駅へ向かい、10分ほどの待ち時間で9時45分のバスに乗る。

 

小型の奈良交通のバスだが、ほぼ満席。

ほとんどが私より年配と思われる女性だ。

男性は、ご夫婦で乗られた方の一人のみ。

 

その半分くらいの方が、桜井駅から15分くらいの下居(おりい)というバス停で降りた。

このバス停は、NHKで放送された、やまと尼寺精進日記のお寺、音羽山観音寺へ行くための最寄りのバス停なのだ。

しかも、バス停からは約1,7㎞、徒歩約50分らしい。

 

私は、あと10年ぐらい先でも、こんなに外歩きする気力や体力が残っているのだろうか…と、恐れを感じた。

 

バスに乗って20分ほど、終点の談山神社の一つ手前、スタンプラリーのスタート地点多武峰バス停で下車。

 

10時10分、多武峰バス停、チェックイン。

 

屋形橋という朱塗りの橋を渡り、談山神社の方へ進む。

 

談山神社の東大門

 

説明によると、社寺の表門に、城郭風の門が用いられた数少ない遺構だそうだ。

「下乗」の大きい石

 

ここからしばらくゆるい坂を上っていく。

 

談山神社が近づくと、参道のお店で、試食攻めにあい、「焼きしょうが」という、佃煮風のものを購入。

焼きしょうが 700円

 

ここにしかない!とか言う言葉に負けた。が、これはとてもおいしく、おにぎりの具にもよく、当たりだったと思う。

 

談山神社に到着。

 

10時30分、談山神社、チェックイン!

 

 

ここは、中に入れば、正面の石段を登って、奥へと進む神社だ。

私も友人も、ここは地元に近いということで何回か来たことがある。

 

ここまで来たのに、中には入らない。

この先の道中のために体力温存だ。

 

桜の満開は4日ほど過ぎていたが、まだいける!

桜を見ると写真を撮りたくなるのはなぜ…

遠くの方に、談山神社の十三重塔が見える。

 

しばらく行くと、石垣の上に石仏がある。

このあたりが、談山神社の西大門。

東側と違って、門は残ってないが、「下乗」の大きい石はこちら側にもある。

 

次は、増賀上人のお墓「念誦崛(ねずき)」といわれるところへ向かう。

標識もわかりやすい。

 

ツルに巻き付かれて苦しそうな木を発見!

自然って怖い…

ハイキングには絶好のお天気チョキ

 

三社神社という、割と開放的な神社の横を通り過ぎる。

 

わき道にそれる方向に矢印があったので、そちらへ向かう。

 

スタンプラリーのチェックインの場所は、この看板付近だったので、ここでチェックインだ。

 

10時58分、念誦崛(ねずき)、チェックイン!

 

チェックインはしたが、せっかくここまで来たのだから、この先まで行ってみたい。

 

 

坂を上ってすぐに、京都清水寺の貫主をされ、107歳まで生きた仏教界の大長老、大西良慶和上生誕の地の碑がある。

この地に大西家の墓所があるということだ。

 

その先に、大きめの石仏がある。

お地蔵さまと阿弥陀様らしい。

本当にやさし気なお顔だ。

 

右にスロープ、左に石段がある。

石段を上がってみる。150段ほどあるらしい。

 

これか…

石で造った2段積みの墓で、直径が4mもあるらしい。

初めて見るお墓の形だ。

 

全体は、こんな感じ。

 

石段を登った左側に、「慈惠大師高弟 増賀上人廟」とある。

増賀上人は、天台宗比叡山中興の祖といわれる慈惠(じえ)僧正(元三大師良源)の弟子である。

増賀上人は、平安中期の貴族階級出身の天台宗の高僧で比叡山で修行。

その後、名聞を嫌い、応和三年(963)弟子の如覚の勧めで多武峯に入山し、以後40年間入滅まで隠棲。

開山の定恵にたいして、中興の祖といわれている。

この辺りを念誦崛と呼ぶのは、上人が念仏三昧のうち入滅した山地であるのにちなんであてられた漢字であるともいわれている。

 

増賀上人は坐ったまま入滅されたと伝わり、「決して荼毘に伏すな」との言葉通りに念誦したままの姿で安置され、衣服は朽ちてもその身体は腐乱することなく3年が経ち、遺言通りに大きな穴を掘って坐禅の姿のまま埋められたとされる。

その穴の上に築かれたのがこの石組だ。

石組自体は江戸時代中期以降の石材を使用していることから、幾度も補修されたことが窺える。

表側はきれいに積まれているが、後ろ側はちょっとがたがたの石の並びだ。

 

下りはスロープの方を歩く。

このあたりは、多武峯の奥ノ院と呼ばれた紫蓋寺(しがいじ)という寺院があったところだからか、あちらこちらにたくさんの石仏があった。

 

次の目的地、万葉展望台へ向かう。

 

道なりに歩いて行くと、展望台まで1㎞の表示。

緩やかな下りの細い道を歩く。

 

しばらく行くと、道の真ん中に目印の石仏がある。

この正面を上がって、万葉展望台に到着。

眼下には飛鳥の里、遠くに二上山が見える。

遠くといっても、最近見た二上山の中では一番近いように感じた。

天気はいいのに、春霞か、あまりクリアではないのがちょっと残念。

 

12時9分、万葉展望台、チェックイン!

ここには、ベンチもある。

腰を下ろし、持参のおにぎりを食べたり、しばし休憩。

 

再び、歩く。

今度は、急な下りで荒れた道。

雨は、4,5日降っていないはずなのに、地面は乾いていなくて、野生の動物、鹿と思われる蹄の後も残っている。

 

行き止まりかと思ったら、動物除けの柵だった。

ここを開けて通り、きちんと閉める。

 

少し行くと、まわりはブドウ畑らしき果樹園が広がり、道もコンクリートになる。

 

桐の花、発見!花札と一緒だ!

 

藤原鎌足の産湯の井戸があるという大原神社へ寄る。

神社の奥に進んで、少し石段を下りたところに大きく産湯の井戸とある。

井戸の跡は、浅くて、今は、水もなさそうだ。

 

藤原鎌足の産湯の井戸があった大原神社のすぐ近くに、大伴夫人(おおともぶにん)という藤原鎌足のお母さんのお墓がある。

ちなみに、藤原鎌足のお墓は、談山神社の奥、御破裂山(ごはれつやま)の山頂にある。

 

最後のチェックイン場所は、飛鳥寺五重宝塔とある。

 

飛鳥寺からちょっと離れた飛鳥寺研修会館という場所の中にあり、外からはほとんど見えない。

 

中へ入り、建物の奥へ入っていくと、塔があった。

異国風の塔だ。

百済の時代に創建された韓国のお寺、修徳寺と姉妹寺院の盟約を結び、その縁あって、ここに百済様式の石塔を造立されたということらしい。

 

桜は少し終わりかけているが、外国のような感じでなんかステキ。

 

13時25分、飛鳥寺五重宝塔、チェックイン!

これで、今回のスタンプラリー終了。

 

近くの万葉文化館へ寄り、トイレ休憩。

売店で、友人はソフトクリーム、私はビールでひと休み。

缶ビール 300円

 

帰りのバスの時間を調べ、飛鳥寺前の飛鳥大仏のバス停へ向かう。

 

飛鳥寺に到着。

 

境内は、大学生らしき参拝者が多く、若い人の多さは、やっぱり飛鳥の里だわ~と思った。

 

バスの時間まで、中でゆっくり拝観するほどの時間はなかったので、今回は、お庭を素通りして、奥の、蘇我入鹿の首塚へ向かう。

ラナンキュラスなのか、八重の椿なのか、つくばいには、淡い色合いの花がびっしり詰まって、散った桜の花びらも、隙間を埋めるように浮かんで、とてもきれい!

 

入鹿の首塚

少し前に、永井路子さんの「茜さす」、黒岩重吾氏の「茜に燃ゆ」と、持統天皇や、その前後の時代の小説を読んだばかりだったので、ぜひ、この首塚に行きたいと思っていた。

ここが、あの歴史の舞台か~と、感無量だ。

 

 

 

14時18分、飛鳥大仏発のバスに乗り、14時37分、橿原神宮前駅東口着。

乗り換え時間が5分しかないのに、バスが3分ほど遅れて到着。

必死で走る。

14時42分、橿原神宮前発の近鉄に乗り、14時48分、大和八木着。

14時50分、大和八木発、14時54分、桜井着。

 

15時6分、桜井発のJRに乗り、15時半前に帰宅。

 

今日の交通費 1,470円

 

今日の万歩計

6㎞のはずが、10㎞も歩いていたわ~

 

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大人の焼き物