春の道まだ拗ねているふくらはぎ   けんぢ

     春の闇から忽然と骨盤が

     親指の暴走寒晴れの録画予約

     こりゃ腰椎の冴え返りですわ

     手のひらに春のふぐりをのせてみる

 

   先日、坪内稔典氏のぶろぐ「窓と窓」に投稿した新作5句です。

   これらの句群に寄せて短い文も紹介していただきました。

 

   「若い頃は気にも止めなかった道端の草花もそうですが、この頃は、身体の

    あちこちのことが気にかかります。老いの時間の中で、ようやく自分の身

    体とも、まともに付き合えるようになったようです。

 

         稔典さんからは、「 自分の身体との付き合い、分かるなあ。思うままにはな

  らないのだ、もっとも身近な身体が」と、身体的共感をいただきました。この年   

  になると、頭のてっぺんから足の指先まで、どいつもこいつも、ああだこうだと

  何かを訴えてくるのです。稔典さんの言われるように、まさに「思うままになら

  ない」のです。「もっとも身近な身体が」です。

 

   ただ、この頃、何をしていても意識してしまう自分の身体との付き合いで、他

  にも気がついたこともあるのですね。生の実感とでもいうか、あちこちの不具合 

  や痛みを意識する度に、生きていることの実感を身体で感じている自分がいるの  

  です。若い頃は、目や耳や歯や腰や膝や心臓のことを見向きもしていませんでし  

  た。不具合を感じることもなく、その存在そのものが「身近」ではありませんで

  した。身近だったのは、頭の中で考えている訳の分からないあれこればかりでし

  た。

 

   あちこちから、しょっちゅう不具合を訴えてくるようになって、ようやく自分  

  の身体を愛おしく思えるようになったのです。それは、自分の身体も含めた周り 

  の自然への付き合い方の変化でもあります。

 

    痛いの?ここにいるよといぬふぐり  けんぢ

 

   自然から私へは、いつも変わらず話しかけてきていた声が、いまようやく聞こ

  えるようになったのですね。老いの時間は、ただ失うばかりではないのです。