X(旧Twitter)にて一部で話題になったnoteである。

「推し活を始め、推しに認知され、SNSをブロックされるまでの1年半」

界隈でいうところの「厄介または害悪ファン」だった青年のnoteだ。

内容の如何は横に置き、読ませる文章だと思った。

 

彼が起こしたことについて、私なりの雑感をメモする。

 

私が思うに、彼の問題は

「自分の立場を俯瞰して考えられなかったこと」

これに尽きる。

 

ひとつずつ述べる。

 

客であるしゅんき氏が「推しのパフォーマンスは面白くない」

と、感じたこと。

これは、全く問題が無い。自分の抱いた感想は自分のものだ。

「推しのパフォーマンスに満足できなかった自分が居た」

という現実を、認めたほうがいい。

「ファンなのだから、どんなパフォーマンスでも素晴らしいと

感じなくてはいけない」

こんな風に思い込んで、自分の気持ちを裏切って

苦しくなるほうが不健全だ。

 

さて。

 

ネット上では、絶賛の声しか上がらない。

そこでしゅんき氏は「自分と同意見の仲間はいないの?」と

共感を求めて、SNSへネガティブな意見を投稿する。

善悪で言えば「悪くない」と思う。

そういった投稿をする権利は、客側には、ある。

なぜなら、しゅんき氏は客だからだ。

金を出して商品を買ったからだ。

 

もちろん、金を出したのだから

何を言ってもよいわけではないし

言葉は選ばなければいけない。

 

しかし「界隈にとっては都合が悪い」のだ。

これを理解し、想像力を働かせなければいけなかった。

ファンにとっては、推し活に水を差された気分になるだろう。

タレント側は、自分を否定されれば、嫌な気分になるだろう。

もしかしたら、評判が悪いとスポンサー筋に判断されれば、

これからの仕事にも影響がでるかもしれない。

 

「界隈にとって都合が悪い」ことを繰り返せば、

害をなす人間とみなされて、疎外、追放される。

人間はムラを作る生き物だからだ。

ムラの秩序と利益が一番になるのだ。

そこに善悪や正義は無い。

 

そして、ムラはひとりの思惑では中々変わらない。

いわば信仰の対象である推しと信者たちを変えることは

できないのだ。

ムラの中で、異端である自分を受け入れてくれ!と

言っても徒労に終わるだけだ。

 

しゅんき氏はがやるべきことは下記の3つだった。

 

ファンでいつつ、ファンのコミュニティにも属す

・全肯定ファンを装う。

発信や交流の中では我を出さず「界隈」の秩序と利益を乱さない。

 

ファンでいるだけにする

・自分の好きな活動だけを追い、自分の中だけで満足する。

SNSでの推しに関する発信やファン同士での交流はやめて

好みのコンテンツだけを受け取る。

(現在はこの形態であるようだ)

 

・ファンをやめる。

自分を満足させてくれるような別の活動に打ち込む。

 

 

アンチコミュニティを作るのはやめたほうが良い。

 

鍵垢などクローズドな環境にしても

インターネット上でやるものではない。

 

インターネットでやる以上、全世界に公開されたものだ。

誹謗中傷などで訴えられる可能性がある。

 

ハラスメント騒動は「相手次第」だ。

そして、クローズドになればなるほど、

公序良俗に反した発言が増えやすい。

 

それこそ、氏がクローズドなコミュニティで発信した内容を

同コミュニティ内のメンバーが興業側に密告し、

出禁勧告まで受けている。

最悪の場合、自分の社会的な立場が危うくなる。

 

そして、いくら推しに執着して苦言、アンチ発言をしたところで

推しは自分の都合が良く変わってはくれない。

ただの客に、推しという人間は変えられない。

推しを変える可能性があるのは、マネジメント、スポンサー側の

金と力のある人間だ。

じゃあ、そちらに意見してみようと思うかもしれない。

想像力を働かせてみればすぐに分かる。

無駄である。むしろ、推しの足を引っ張ることになる。

彼らにとってタレントは商品なのだ。

めんどくさいモノがくっついている商品は厄介だ。

 

どうしてもネガティブな意見を伝えたいのなら

正々堂々と公演アンケートなどに書くのがよいだろう。

興業側にしか伝わらないようにすればいい。

商品のアンケートなど同じだ。

 

 

 

推し活の安全策とはなんだろうか。

それは、もう徹底的に推しをただの「商品」として消費することだ。

それこそ、家電のように。

 

金を出して、満足感を得られればよし。

満足感を得られなくなったら、捨てる。

使用感の意見は商品アンケートに書く。

 

とてもシンプルだ。