長命を目指す・短命を目指す どちらが良いこと? | マッドサイエンス 健康大系

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誰も話したことがないような健康の話をしようと思う。まれな症状の健康相談にものっている。

中身がない。非常にかっこわるい人が書いている。読んでも幸せにならない。気をつけるんだっ


久しぶりです


未だに見てくれる方がいらっしゃるので新しい記事を書いてみます




さて、いきなりですが本題です


 

今の時代、本当に長寿を目指すことが、持てはやされてきましたね


それが善であることは、誰もが疑いようのないことでもありますね


いや長寿は害だと考えるひとでも、実際は長寿を目指しているでしょう



まあ当然です


長寿イコール、脳の働きの良否も左右されるのですから、なかなか無視できない領域です



無視してはいけない範囲です



今回の議題は、健康による長寿を目指すか否かというお話ではなく、


生き方として、長命を前提にいきるのか否かというお話であります



一部違いますが…




なぜこの時代は、長命が善であると、凝り固まる結果となっているのでしょうか



完全に頭がおかしいひとの発想ではありますが、


短命が善であるという発想も同時に必要な気がします




人間が次に新しい進化をするとしたら、この短命が善という発想である気がします


これを言葉で言える人間はたくさんいるかもしれませんが、


実際に自分の力として応用できる人は少ないと思います




話が飛びます



おそろしいことに、この短命が善だと発想できるひとは、相当な健康体をもっている必要があります



不健康なひとは、生きることを維持することで精一杯であり、それがまた人生の課題でもあるからです


そのような状況で、どういう生き方をして、どう短命に生きるかなんて発想はできません



つまり、短命な人が、短命を目指すことはありません


長命な人が短命を目指します



さらに話を飛ばすと、


人間が短命を目指すという進化が起きるタイミングは、大部分が、健康体であるという状況が必要になります



意味不明のはなしでしょうか



全部話が伝わってれば、飲み込める人もいるでしょう



それは進化と呼べるのか、異常な状態といえるのかは難しいところですが、


革新的な飛躍が起きるとしたら、そのタイミングです



人は健康体である基礎が出来上がると飛躍的に進化すると思われます



世に言う宇宙人というものも、大きな進化が起きた時期があるとしたら、


文明の進化というより、健康状態の前進のじきでしょう




人は、死に近くなるほど、最後の炎は大きくなるという話があります



もっと良い話だった気がしますが…



これは「追い込まれたからだ」という方向性で捉えるベクトルと


「最後の最後くらい、全力を出し切ろうという判断」のベクトルがある気がします



自分が目指してほしい方向性がるとしたら、


後者の、最後最後くらい、ベストを出そう のほうです



追い込まれて出す大きな炎は、何か大事なことを燃やして、大きくするふしがあります



そうゆうのは見てられません



自分の内にあるもっと強力な炎を発揮してほしいところです





さらに話がとびますが


死ぬ気の炎、どこかの漫画でもありますね



そうゆうのを語る人は世の中、ほとんどいませんし、本にもほぼなっていません


そういう面で漫画は必要とされている気がします




話を戻します


短命を目指す進化の先はどうなるかです



それは、読み手 個人が想像していただければと思います



想像力が豊かな人ほど、相当先まで見えるでしょう




今日はちょっとした、おまけ話もしましょう


ある方面の話で、人間の寿命は他の生命に操作されたという話があります



もし仮にそうだとしたら面白い話が導き出されます



その他の生命が、人間を良く思ってなかったら、どうでしょう


悪い奴だったら、人間の進化を遅らせる人間には長命をプレゼントして


進化を進める人間は短命に近づける



もしこんなことが起きていたとしたら、


人間は長命を目指すほどに、で本質的な進化が進まなくなります



ということで、今回は、


片方に凝り固まってしまう概念の逆について考えてみました


同時に片方に凝り固まったはなしを見つけることの重要性についても語りました



予定調和の話が好きじゃないので、いつもこんな感じになります



あしからず…