「村上春樹全作品 1979~1989 ⑤ 短編集Ⅱ」に入っている一遍。もともとは『カンガルー日和』に入っている。

 

 

こんな話だ。

 僕は友人の結婚式のために昔住んでいた街を訪れる。十数年ぶりだ。そして昔の彼女のことを思い出す。その街にいた昔の恋人。よくいった喫茶店があった。今では結婚して、子供もいて、夫はどこかの会社に勤め住宅ローンを抱えているのも知れない、などと想像する。そして思う「その街にはもう会うべき人などいないのだ」

 

 

 ホテルに入ってシャワーを浴びて、先ほど街の靴屋で買った運動靴をはく。そうすると自分が少し街になじんだような気がする。

 

 

 タクシーに乗り海のほうへ行く。昔海岸線だったところは、古い防波堤の残骸が残り、その向こうは幾多の新しいアパートが立っている。埋め立てられたのだ。海は何キロも向こうに行ってしまった。

 

 

 子供のころ海で遊んだものだった。家から海水パンツ姿で海まで行ったこと、焼けたアスファルトが熱かったこと、夕立が気持ちよかったことを思い出す。そして、長い時間がたってしまったっことを痛感する。

 変わってしまった故郷。自分も変わってしまったのだろう。子供のころ、海岸線に打ち上げられた溺死体を思う。身元のしれない若い女。すべては滅び去る。

 古い防波堤の向こうに立ち並ぶアパート群が巨大な墓石に見えてくる。

 新しい海岸線にたどり着いた僕は堤防に背を凭せ掛けて少しうとうとする。そして恐怖を感じる。目覚めたとき僕はどこにいるのだろうか、と。

 

 

 読む者の不安を駆り立てる小説。喪失感に満たされる。捨てたという自覚はないが、知らぬうちに失ってしまったもの・関係性は少なくないのだろう。別に嫌いではないが、好きでもなく、用事もない場所。無縁となってしまった事柄。まだ手中にあるとなんとなく感じているが、それはすでに失われてしまっているという事実。

 その時々の成り行き・偶発性に身をゆだねているうちに経過していく人生の虚ろ。

 この作品も『羊をめぐる冒険』に取り込まれている。