覗くモーテル 観察日誌 (文春文庫)

 

 

コロラド州オーロラ。

21室を有した小規模なモーテル

「マナーハウス・モーテル」。

所有者はジェラルド・フース。

「寝室いうプライベートな空間にいるとき、

人々は性的にどんな行動をとるのか」

この疑問を晴らすために、

モーテルを買い取って自身で経営し、

客室の天井裏からのぞき見をして、

詳細な観察日記をつけていた。

「人間への飽くことなきわが好奇心のゆえであり、

決して変態の覗き魔としてやったことではありません」

とフースはいう。

 

 

フースの窃視癖を培ったのは

叔母の存在だった。

少年の頃、近所に住む叔母の家の窓から

叔母の裸を盗み見ていた。

叔母はなぜか家の中では

全裸でいることが多かったようだ。

亭主は大酒飲みで、

叔母を大事にしていなかった。

子供はいなかった。

「私は叔母に恋をしていたのです」

5,6年窃視を続けたが見つかったことはない。

 

1980年1月、ドキュメンタリー作家ゲイ・タリーズ

コロラド州オーロラのとある男から手紙が届く。

そこには、15年にわたってモーテルの宿泊客の窃視をしてきたこと、

その情報を提供したいこと、などが書かれていた。

 

 

タリーズは戸惑う。

どう返事をしていいのかわからないし、

そもそもその男の行動は犯罪ではないのか。

結局、タリーズは手紙の主がどのような人物なのか

興味を捨てることができなく会うことにする。

そこから二人の30年以上に亘る長い付き合いがはじまる。

 

 

フースがとった手法は、モーテルの客室の天井に通気口を模した

のぞき穴を作るというのもだった。

通気口のルーバーの角度に気を付け、

下からのぞいている者が見えないように工夫した。

板金業者に通気口を作成させた。

何度も試作が必要だった。出来上がったものを、

自力で部屋の天井に取り付けていった。

全部で12部屋。

フースの妻ドナがそれに協力した。

ドナは看護師で覗き魔ではなかったが、

フースの覗き趣味に理解を示し

、仕事の合間にモーテルの経営や

覗き行為に協力していた。

時には一緒に覗くこともあった。

 

 

「覗き魔の日記」と題したフースの記録は

1996年からスタートしている。

そして、観察部屋が完成したときフースはこのように書いている。

「1966年11月24日 観察実験室が遂に完成し、

いつでも幅広い層の利用者を受け入れる準備が整った。

わが夢が実現に近づいた。

わが覗き趣味や、他人の行動が知りたいという

抗しがたい関心がいよいよ満たされ、夢が現実になるのだ」

 

どのようなカップルなのか、

身長や体重などの外見、

どのような会話・行動を取っていたか、を記載し

最後に「結論」としてカップルの総評を行っている。

 

実に様々なカップルやグループの観察をしている。

「幸せでないカップ」も多い。犯罪者もいる。

グループセックスは、一部の愛好家で行われていたが、

70年代後半からは一般化してきた、

とフースは分析する。

レズビアンのカップルについては、

男女のカップルよりも濃密で愛に満ちた時間を過ごしていた、

と評している。

 

見たいシーンばかりが見られるわけではない。

日常的な退屈なシーンや会話が長々と続き、

天井裏で寝入ってしまうこともあった。

見たくもないシーンを見ることもある。

言い争い、近親相姦、暴力…。

フースは、客が外出した際に部屋に入って、

女性のブラのサイズを調べたりもしている。

正確を期すためとし、正当化している。

また、客が隠した麻薬を、

義憤に駆られてトイレに流したりもする。

これがもとで、殺人事件に発展しているケースもある。

(しかし、これは、なんだか怪しいエピソードだ)

 

覗き続け、部屋に侵入しすることがあっても、

一度も客にばれたことがない、

というのがフースに自慢のひとつだ。

そして自分の行為を、覗くことはいけないこととは認めはするが、

誰にも迷惑をかけていない、

だから私に罪はない、と思っている。

唯一、殺人事件に発展したものを除いてだが。

 

フースは、覗き行為に理解を示し

協力的だった最初の妻ドナとは別れている。

そして、2番目の妻アニタも

フースの覗き行為には理解を示し、

協力もしている。

(これは驚くべきことかもしれない)

 

覗くことはフースにとって夢の実現であり

どんなに苦労をしてもやり遂げなければいけないことだった。

 

 

フースは健全で善良な一般市民のようにふるまう。

事実、人を傷つけたり、物を盗んだりなどの行為はしない。

そして、人とうまく付き合ったり、

人を評価する常識的な視線も持っている。

しかし、歪な正義感を有し、

自己正当化が強く、

道徳観の一部が欠落している。

そしてフースの「日記」を

詳細に読み込んだゲイ・タリーズは、

つじつまの合わない箇所が複数あり、

嘘を書いている部分もあるのではないか、

と疑問を呈している。

 

 

 

本が出版される少し前の

2016年4月10日号の「ニューヨーカー」に、

本からの長い抜粋が掲載されるとたちまち評判になり、

スピルバーグが映画化権を取得した。

監督は・サムメンデスに決まった。

 

しかし、その映画はつられなかった。

2017年にタリーズも協力し、

ドキュメンタリー映画が撮影されていたからだ。

これを見たメンデスは、

これ以上よいものは作れない、

といったらしい。

そのドキュメンタリー映画には

『覗くモーテル』という邦題が付いている。

私は未見だが、機会があればぜひ見てみたい。