監督 エド・ウッド

グレン/グレンダ(エド・ウッド)

科学者/人形使い(ベラ・ルゴシ)

オルトン博士(ティム・ファレル)

ウォーレン警部(ライル・タルボット)

バーバラ(ドロレス・フラー)

ジョニー(チャールズ・クラフツ)

悪魔/グレンの父親(キャプテン・デ・ギータ)

アラン/アン(トミー・ヘインズ)

銀行家(コニー・ブルックス)

1953年/アメリカ

 

エド・ウッドの長編デビュー作

「糸をひけ! 踊るのだ。それが人間だ」

という箴言めいたものに心惹かれ、

最後まで見てみた。

 

思っていたほどつまらない映画ではない。

しかし、映画として展開が平坦で、

ナレーションに頼り過ぎている。

セミドキュメンタリーとしてみれば

説明が多いのはしょうがないと思うが、

それにしても冗長である。

 

そして、時折挟み込まれる

雰囲気だけのベラ・ルゴシのナレーションが、

映画の向かうべきベクトルを

混乱させていて、

見る者に戸惑いと失笑を与えるのだった。

このあたりが、カルトになった

理由かもしれない。

「よくわからないけど、なんだか凄い」

と感じさせるものがある。

 

 

(ベラ・ルゴシ)

 

「つまらない」ことを期待して見ると

結構、裏切られる。

そんなにつまらぬ、意味のない作品ではないと思う。

むしろ、監督の意気込みを感じた。

 

 

お勧め度

★★★☆☆

 

 

飾り棚に髑髏を配した奇妙な部屋で

オカルトめいた風貌のベラ・ルゴシが

科学の神秘についてもっともらしく語り始める。

そして、おどろおどろしい実験室に映り

ネクタイにスーツ姿のまま

なんと、試験管から直接試験管やフラスコに

溶液を注ぐ怪しげな

スーツ姿のサイエンティスト。

 

(実験中は白衣を着るべき)

 

実験が完成したようで

そして、いうのだ。

「新しい命の誕生だ」

重大な伏線が張られているのだと

見る者は思う。

そして最後にこう思うのだ。

「伏線の張り方が間違っている」

 

 

ひとりの女装愛好家の男が自殺した。

女装をして街を出歩いた罪で4回ほど逮捕されている。

女装が認められない社会に絶望して

死を選んだ。

捜査に当たったウォーレン警部は精神科医のオルトン博士に

相談へ行く。

「予防策はないものか」

オルトン博士はグレンという男性の例について語り始める。

 

ウォーレン警部          オルトン博士

 

服装倒錯者、女装を好む男のことをそういうようだ。

グレンは女性に服を着るのが好きだ。

 

グレン

 

女装しているときは、グレンダだ。

グレンにとって女装するということは

嗜好性というよりも、

そうしないと精神のバランスが

崩れてしまうためだった。

 

グレンダ

 

一方、グレンはまっとうな社会人として仕事をし、

バーバラという婚約者もいる。

グレンは自分の女装癖について、

グレンにいうべきか迷っている。

バーバラはグレンの女装癖を知っても

彼を受け入れることができるのか…。

 

グレン              バーバラ

 

グレン

 

グレンを嘲笑する人たち

 

(ベラ・ルゴシ)

 

現代では性的指向を差別することのない社会を

目指そうとする勢力が力を持ち、

社会的に認知され、

それに対応した施策が

公的機関や民間で浸透してきている。

嫌な言い方だが、

そのような動きを積極的に推す人が

開明的で進んだ精神の持ち主

としてあがめられる傾向があり

それに乗じる政治家、その他の人たちが

いて鼻につくことがある。

 

この映画ができたころには、

単なる異常者として

蔑視され排除されるべき存在として

考えられていたのだろう。

そのような指向性のある人には

生きづらい時代だった。

 

エド・ウッド自身にも女装癖があり、

第二次大戦に従軍していた頃、

軍服の下にブラをつけていたらしい。

この映画は、ウッド自身の悩みの告白であり

社会的にそのような人たち(自分を含めて)

が受容されることを

訴える気持ちがあったのだろうと推察する。

(本人がグレンとグレンダを演じている)

 

『ブロークバック・マウンテン』という映画があった。

バイセクシャルであった男性二人の物語で、

結婚してもなお、相手の男にどうしようもない

恋情を感じ、逢瀬を重ねる話だ。

『グレンとグレンダ』を見てふと思い出した。

 

 

 

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