散歩がてら花見でもしようと都内へ行ってきました。

東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅で降りて

地上へ上がると神田川が流れています。

このあたりの神田川は昔「江戸川」と呼ばれていたそうです。

なので、流れている川は「神田川」なのに

駅名や川に架かっている橋には「江戸川橋」

という名称が用いられているそうです。

 

 

待ち合わせの時間になっても

約束していた友人が現れません。

電話してみると、なんと「忘れていた」とのこと。

思わず笑ってしまいました。

友人は「今から行く!」といっていましたが、

雨も降ってきたことだし

「今回は天気も悪いので中止にしましょう」

ということにしました。

 

 

 

雨の降る中、傘をさして一人川沿いを歩きました。

川面は桜の花びらで覆われています。

 

 

今年の花見も今日でおしまいだな、

などと思いながら歩きました。

 

 

椿山荘がすぐそばにあります。

江戸時代は黒田家の屋敷があった場所です。

 

 

今では藤田観光が運営している

庭園のある大きく立派なホテルです。

 

その隣には、永青文庫があります。

ここは旧熊本藩主 細川家 伝来の美術品、歴史資料などを

保管展示している美術館のようなものです。

前を通ると

「細川家四代展 ―護立・護貞・護熙・護光―」

を開催中で

元首相の細川護熙さんの焼き物も

展示されているようでした。

 

細川護熙 「黒茶盌 幽棲」 個人蔵

 

江戸川橋公園から音羽通りを北へ向かいます。

途中、「鳩山会館」の前を通り過ぎ、

突き当りが護国寺です。

 

 

 

大きなお寺です。

徳川三代将軍綱吉が母、

桂昌院の願いをうけ建立したお寺です。

 

護国寺の桜

 

雨のためかコロナ禍のためか

人影はごくまばらでした。

 

隣には中村天風の「天風会館」があります。

この人は今では啓蒙家として有名ですが、

右翼団体玄洋社のいたころはその凶暴さから

「玄洋社の豹」と呼ばれて恐れられていたそうです。

 

 

日清日露戦争の頃は軍事探偵として、

大陸で活動し何度も命の危機に合ったようです。

 

日露戦争後、結核に罹り

北山柴三郎の治療を受けるもよくならず、

アメリカに渡ろうとします。

しかし病気のため渡航許可が下りず、

知り合いだった孫文の親戚に成りすまし

アメリカに渡ります。

そこで何人もの著名人を訪ね病気の治療に当たったそうです。

 

しかし、結核はよくならず、

日本に帰ることにします。

 

帰りの船の上で

インドのヨガの聖人カリアッパに出会い

そのまま弟子入りしインドへ行き

ヨガの修行に打ち込みます。

そこで結核を克服し、同時に悟りを得たとされています。

 

インドを立ち日本へ向かう途中に、

上海で公使を務めていた旧友山座円次郎を訪ねます。

その滞在中に、孫文が第二革命を起こします。

そこで「中華民国最高顧問」として協力します。

革命は失敗したものの、

その謝礼として財産を得たそうです。

 

その後日本で実業界に入り、

銀行の頭取をしたりした後に

天風会の基となる団体を起こしていきます。

波乱万丈。なんとも不思議な人です。

明治9年生まれ昭和43年に没しています。

 

 

運命を拓く (講談社文庫)

 

 

 

帰りに池袋のなじみの喫茶店

「ドリーム・コーヒー」に行ってみましたが、

休みでした。残念!

 

昔ながらの喫茶店で、

自家焙煎をしている店です。

豆の販売もしています

お客はカウンターで注文し、

お金を払って、

出てきたコーヒーを持って

席に着くというパーンの店です。

 

愛想はないですが、

居心地がいいです。

(コーヒー220円)

 

玉子トースト 230円

(美味しいです)