今日は楽しいひな祭りです。

 

娘がいるのでひな人形を飾っていますが、息子はバイトへ行き夕方帰る予定で、妻は夕方からパートへ行き帰りは遅い時刻、私は病み上がりのため家にこもっています。肝心の娘は、もう、ひな祭りには関心が薄く(雛あられは好きな模様)、音楽などを一人で聞いています。今日はそれぞれに好きなことをしている感じです。

 

家にこもっていた間、久しぶりに三島由紀夫を読んでみました。

『仮面の告白』。発表されたのは昭和24年ですので、彼が24歳の頃でしょうか。なので書いたのは22、23歳くらいの時でしょうか。

有名な冒頭の「私は自分が生まれたときの時の光景を見たことがある」という告白は、目が覚めたら自分が一匹の虫になっていた、と同じくらいの気色の悪さですが、衒学的なものの言い方や、深度のある理知的な自己分析などを垣間見ると、すごい小説であることは間違いないのだろうと思います。20代前半でよくぞこのような文章が書けたものだなと感心してしまいます。普通の作家と数段レベルが違うのではないか、などと思ったりもします。

聖セバスチャンの弓に射られたたくましい体とその澄んだ瞳に性的な興奮を覚え、粗野で落第をして少し歳を食った同級生の野蛮性と逞しさと隠れた優しさに心惹かれていく<私>には明らかに同性愛的志向を目指す性癖がうかがえます。しかも、痛めつけられ血を流していると心の振るえが大きくなるようです。

それから、友人の妹・園子との淡い恋愛をします。しかし、正常な男としていざというとき彼女と対峙できないのではないかという不安にさいなまれます。

 

時代背景は大正の終わりから戦後すぐの頃までですので、当時の男色文学(?)に対する受け皿はどんな具合だったのか気になるところですが、この作品に対する当時の文壇の評価はたいそう高かったようです。今でも高いです。

 

三島由紀夫は10代のころから小説を発表している人ですが、この作品は明らかに彼のその後の作品群の起点となったものではないでしょうか。

すべて読んできたわけではありませんが、彼の書く小説で社会的な事象がテーマになったものはないと思います。

 

知事選をモデルとした『宴のあと』は、社会小説的な言われ方をされることもありますが、テーマは政治的なものではなく、料亭の女将と知事候補の男との心の揺らめきのようなものであったのだと思います。

この小説の不産物として、日本で初めて「プライバシー」の概念が確立された裁判が行われました。

「プライバシー裁判」として判例集にも乗っているような事件です。

 

私は三島の作品では、小粒かもしれませんが『午後の曳航』が好きですね。早熟な少年があこがれる海の男。世俗に汚されていない理想の存在。

 

しかし、美しい母親と英雄視している海の男の閨房での営みをのぞき見して…。

という感じの、理想が失望に変わっていき、それを回復するためにある行為に及ぶというお話でした。映画化されています。外国映画です。

 

また暇があれば、少し小難しい本を読んでみたいなと思います。