1990年代にリンダ・エヴァンジェリスタ、ナオミ・キャンベルらスーパーモデルのメイクを担当していた
ケヴィン・オークインの生涯を綴った映画を見てきました。
この人の存在は映画で初めて知ったのだが、モデルだけでなくシェールやジャネット・ジャクソン、ティナ・ターナーなど
女性アーティストらのメークもやっていたらしい。
PVやアルバムのジャケットを見て、この時のメイクは彼が担当していたんだ!と感慨深いものがある。
それにアメリカでは何冊か本も出していて、全盛期は彼がメイクを施すモデルやスター並みに彼自身が人気者だった。
昔の盛り盛りのメイクやヘアスタイル、スーパーモデルたちに描いた細眉など懐かしい。
ルイジアナ出身のケヴィン・オークインは生まれてまもなく養子に出されるとバーブラ・ストライサントに夢中になる。
まだまだ閉鎖的な時代で、当時バーブラ・ストライサントを好むということはゲイを意味していたらしい。
事実彼の恋愛対象は男性。
やがて、ケヴィンは従妹とともに故郷を飛び出してニューヨークへ移り住む。
彼はそこでメイクの技術を開花させ、ヴォーグやコスモポリタンの表紙の仕事を手掛けると
レブロンや資生堂を担当するようになる。
やがて、スーパーモデルの眉毛をそり極細の眉毛を描くという大胆な行動に出た。
はじめこそ、批判をされたが一転、この細眉は流行り次第にメイクをする対象も
スーパーモデルからシェールやジャネット・ジャクソンなどのアーティストにまで広がる。
アーティストの中には、バーブラ・ストライサントもいてまさに絶頂期を迎えた。
これだけ名を馳せながらも彼の活躍は長くは続かなかった。
超有名人になったケヴィンは実母と再会するが彼女は信仰からケヴィンの存在を否定する。
母親から受け入れられずに心が傷つくケヴィンをさらに不幸が襲う。
頭痛を抑えるために服用していた鎮痛剤を多量に飲み続けるようになった。
結局、これにより肝障害を起こして死去するのだが、彼が病んでいる時かつて彼と仲良かった仲間たちは
彼を遠ざけるようになっていたという。
唯一向き合っていたのはシェールだけだとか。
それに末端肥大症も患い手術もしていた。
あれだけの活躍をしながらも最後人が離れていき、どれだけ孤独だったのかと思うと胸が痛む。
80年代の作り込んだ濃いメイクといい、懐かしい気持ちで見た。