何年ぶりの投稿か。

そもそも、Yahooブログが終わってしまって、そのまま閉じようかと思ったが、
こんなブログでも、「残してほしい」という人が意外と多く、
アメーバブログに引っ越した。
使い方もよくわからずいままで放置していたが、とりあえず投稿してみた。


待ちに待った「高校生想代」が12月27~28日で開催される。
この大会はまさにみんなの「想い」が込められている。
九州学院の米田先生からわざわざご連絡いただき、
その素晴らしい試みに感銘を受け、
微力ながら大会に協力させていただくこととなった。

そして今回のパンフレットには久々に剣キチ名で寄稿した。
タイトルは「高校剣道史に燦然と輝く7名のヒーローを紹介!」である。
今年の高校生の勢力図については、勉強不足で正直よくわからない。
そこで過去のヒーローを思い起こし、今の高校生に知ってほしいと思ったのだ。

高校剣道界から様々なヒーローが生まれた。

私の記憶に強烈に残っている剣士は少なくとも100名はいる。

その中から今回パンフレットで7名を紹介した。

彼らはいずれも伝説を築いた剣士たち。

彼らに共通する点は「絶対にあきらめない強靭な精神」だ。

高校剣士たちもぜひ偉大なる先輩に続いてほしいという思いで寄稿した。

その7名とは、

◎白水清道選手(福岡商業高1976年度卒)
◎鍋山隆弘選手(PL学園高1987年度卒)
◎内村良一選手(九州学院高1998年度卒)
◎石田雄二選手(高輪高2006年度卒)
◎竹ノ内佑也選手(福大大濠高2011年度卒)
◎梅ヶ谷翔選手(福大大濠高2013年度卒)
◎星子啓太選手(九州学院高2016年度卒)

である。紹介内容はパンフレットを見ていただければと思う。


さて今回は、この7名に匹敵する
その他の伝説の高校剣士を紹介する。



◎田沖大介選手(福大大濠高1993年度卒)

福岡県の高校剣士の宿命なのか、
特に福岡大大濠高校は、多くの無冠の帝王を生み出してきた。
(誤解なきよう、あくまで個人タイトルがないという意味での「無冠」)
その代表格が竹ノ内佑也と梅ヶ谷翔だろう。

そして、90年代の無冠の帝王、怪物と言えば田沖大介だ。

田沖の名を日本全国に轟かせたのは、
初の開催となった第1回全国選抜大会だ。

田沖は1年生にして福大大濠の大将として
堂々と春日井のコートに立っていた。
順調に勝ち進んだ福大大濠の準々決勝の相手は強敵・三養基。
大将戦まで戦い勝負がつかずついに代表戦となった。
福大大濠の代表はもちろん田沖。
相手はこれまたこの時代を代表する2年生の田中鉄平。
苦戦を強いられることが予想されたが、開始と同時に田沖の強気のメンで勝利!

なんということだ。
この1年生は、いったいどういう心臓をしているのか。
とてつもない選手が現れた。


そして準決勝。

相手は強豪鹿児島商工。
中でも抜群の剣道センスでこの年代のトップランナーをひた走る小田口享弘は、
ポイントゲッターとして鹿商工の中堅をつとめ無敵を誇る。
その小田口が1勝を挙げ、残り全員引分で、大将戦を迎えた。
田沖が引き分けでも福大大濠の負けが決まる。
しかし田沖は強かった、
そのプレッシャーを跳ね除け、福大大濠・大将の高橋からメンを奪い代表戦に。
ついに天才小田口との一騎打ちとなる。

小田口の攻めが強い。
再三攻め込まれる田沖だが、
勝利に対する執念が半端ない。
小田口をじらしてじらして、
小田口の集中力の糸がぷつっと切れた瞬間
「ズドーン!」
田沖の強烈な大砲が、小田口の喉元をとらえた。

1年生田沖を大将に据えた福大大濠は、
ついに決勝に進出した。
決勝戦の相手は育英である。

先鋒が引き分け、
次鋒は育英の松本が2本勝ち、
中堅が引き分け、
福大大濠としては、副将で一矢報いて大将の田沖に繋ぎたいところだったが、
育英副将の古川が1本勝ちで育英の第1回大会の優勝が決まった。

最後は田沖が2本勝ちするも時すでに遅し。

福大大濠は準優勝に終わったが、
田沖大介という1年生の、
その驚異的なスピードと天性のバネ。
勝負勘の良さ、そして負けん気の強さは、
見るものを驚かさずにはいられなかった。

まさに高校生離れ、いや人間離れした、怪物と呼ぶに相応しい衝撃だった。

結局、田沖は、その後も福岡大大濠の大将として、
高3時には、玉竜旗優勝、インターハイ団体優勝の2冠に輝き、
伝説を積み上げていった。

田沖は高1の春の全国選抜でその強さを知らしめたわけだが、
さらに進化した怪物ぶりを多くの人が認めたのは、高2の玉竜旗大会だろう。
ここからは、そこを詳しく書いてみる。(過去の投稿文を再掲)

1992年夏 福岡 玉竜旗大会。
高2で大将をつとめた田沖は、
6回戦から全ての試合に大将戦に引っ張り出された。
6回戦の大分高校戦では相手大将の上野を鮮やかなメン2本のストレート勝ち。
準々決勝は、前年度優勝の高千穂をこれまた大将戦で下した。

そして準決勝の相手は強豪三養基。
春の全国選抜、準々決勝戦の再来である。

三養基の大将は、
6回戦でPLの大将・川上を強烈なツキで玉砕し(川上が吹っ飛ぶほどの凄まじさ)、
会場の度肝を抜いた九州個人No.2の田中鉄平。
田中は神崎中学時代には大将としてチームを
全国優勝に導いた経験も持つ信頼感も抜群の選手だった。
田中の方が知名度も実力も上と見られていたが、
春の全国選抜では、田中は1年年下の田沖に苦汁を飲まされていた。

さてその準決勝。
抜きつ抜かれつで試合が進み、大濠の副将・千代田が三養基の田中を引っ張りだした。

すると田中は、今度は千代田に対して、凄まじい諸手ヅキを見舞った。
田中の渾身の力をこめた剣先は、千代田の腰が砕けるほどに激しく深く突き刺さった。
その後、千代田も負けじと反撃をするが、
強烈な田中のツキは千代田の心理的ダメージを与えるに十分だったろう。
田中はその後すかさずコテを決め強さをまざまざと見せ付けた。

あの強烈なツキを2度も間近で見せ付けられたら、
普通の選手だったらビビるにちがいない。少なくとも私なら則、戦意喪失。
しかも、大舞台での試合経験の少ない2年生の田沖には、
春に勝っているとは言え、今日の田中を倒すというミッションは厳しい。

さて、いよいよ準決勝大将戦、
田中(3年)vs田沖(2年)の勝負が始まった。
しかし田沖は田中に対してビビるどころか、全く気後れしていなかった。
その田沖が、鍔迫り合いから目にも止まらぬ逆噴射だ!
「コテ―!」
これぞ伝家の宝刀。田沖の鮮やかな引きゴテが決まった。
が、すぐに田中がメンで取り返す。

試合は延長になるかと思われたそのとき、
田沖が想像を絶する脚力で飛んだ!
その瞬間。見事な飛び込みメンが決まった。
「す、すごい。」
観客は思わず生唾を呑んだ。

決勝は南筑と大濠という福岡決戦となった。
これが福岡の層の厚さだ。
玉竜旗の決勝を戦ったこの2校はともにインターハイには出られず、
この年の福岡代表となったのは福岡第一なのである。

決勝戦が始まった。
南筑の勢いは凄まじい。
大濠大将の田沖は、南筑・次鋒の立田に引っ張り出されてしまったのだ。

しかし、ここから田沖が怪物の底力を見せる。
田沖は南筑の次鋒・立田にストレート勝ち、
中堅の小山にもストレート勝ち。
この時に小山に放った、ターンと足を鳴らしての引きゴテ。
打突後の一気に間合いを切るスピードは、
あたかも後ろ向きに発射したロケットのようだった。
(あるいは海の中で天敵からすごい勢いで逃げるエビ(笑))。

そして副将の広重にも1-1からの相メンで勝利。
そう、田沖のもう一つの武器は、相手の出鼻に合わせたメン。
明らかに相手が動作を起こしてから動くのだが、
しかも相手より大きく振りかぶってのメンなのだが、
半端じゃないスピードを持つ田沖は、
相メンで負けるところを見せたことがない。

そして迎えた大将決戦。相手は身長185cmの高野である。

田沖にとっては連続4試合目で体力を消耗している上、
体格が違いすぎる。
しかし、田沖は高野の攻めに一歩も引かず、
勝負はむしろ田沖の方が強気で圧していた。

試合は決め手がなく延長戦に突入。

高野が間合いを詰めコテを打つ。
入ったか!? 微妙である。
そこを田沖すかさず引きメンを打つ。こっちか!?
最初に打った高野のコテか、その後に打った田沖のメンか?

この1本をとった方が優勝である。

審判がどちらをとってもおかしくない両者の技だったが、
結局は高野のコテに軍配があがり、南筑が優勝を決めた。

試合後のインタビューで田沖はこう答えた。

「(高野選手の)コテはつばに当たったのですが、
自分も受けの態勢になっていたので、
 有効と判断されても仕方ないです。
でもいい経験ができました。来年こそは優勝します」と。

負けたことを認めるスポーツマンらしい一面と同時に、
試合には負けたが、決して勝負には負けていなかったと言わんばかりの
負けん気の強さそのものだった。

そして「来年こそは優勝します」と述べた言葉を、
本当に実現してしまうなどということは
ただの負けず嫌いなどにはできない。できるはずもない。

胸がすくほどの潔い「有言実行」の姿は、
それなりの覚悟を持った堂々たるリーダーとしての
鑑であると同時に、田沖の怪物たる由縁ではないかと思う。


ここに登場した、田沖と鹿児島商工の小田口はともに中央大学へ進学し、
チームメイトとしてインカレ優勝を果たしている。
また田沖は、大学2年生時に関東学生チャンピオンとなり、
団体では強いが個人タイトルがない「無冠の帝王」の汚名をついに返上した。

【文中敬称略】