【第34話】開催地東京の威信をかけて

2013年

東京国体に向けた選手選抜のサバイバルゲームは、
佐々木たちが中1の時から既に始まっていた。

東京都中体連では、
東京国体(平成25年)に高3となる選手候補20名を選出し
高体連に引き継ぐことにしていた。

彼らが中1の秋に、第1回強化練習会が開催され、
選ばれた中学生50名からスタートした。
その後、幾たびとなく練習会、錬成会、試合などを通して、
1人また1人とふるいにかけられ、少しずつ落とされていくのだ。

佐々木は最初の選抜試合で、
5つに分けられたグループのトップでスタートした。
ここで50名中16名が振り落された。

次の第2回が中2の4月。
4人グループのリーグ戦を行い4人中最下位になったものを
選抜から外すというものだ。
これも佐々木は1位通過した。

しかし、あまり精神衛生上よいものではない。
小学生日本一の佐々木だって負けることはある。
プレッシャーは半端じゃない。
この選考会で、辞退者を含む10名が選抜から外された。
24人が生き残った。

この後、新たな候補が加わっては
全体でまたふるいにかけるという選考会が全8回繰り返され、
東京都中体連からの推薦が決まっていった。

高校に入学すると、
他県から東京の高校への入学者も候補に加わってくる。
高輪で言えば、重黒木、平山、井上翔、大塚瑛仁など(全員神奈川出身)がそうである。
彼らを加えた高1生36名から再スタート。

高校最初の選考試合が行われ、半分の18人が落とされた。
佐々木はグループトップ通過。
高輪からは6人が通過。

このようなことを延々と繰り返していった。
さらに翌年には新1年生もここに加わってくる。
全く気が狂いそうな、これこそまさにサバイバルゲームだ。

佐々木たちが高校2年生となったゴールデンウイーク。
5月2日~6日の5日間で、東京国体選手候補が和歌山遠征に出かけた。
ここでは、全国の優秀校を招いての選抜剣道大会が開催された。

東京国体チームが最優秀校となったわけであるが、
佐々木の試合結果を見て驚いた。
なんと合計26試合。
佐々木は1敗もしない圧倒的な強さを見せた。
しかし、この遠征。高体連からの案内状には4泊5日と書いてある。
が、旅館に泊まるのは2日間。
残り2日はどうするのかというと車中泊である。
選手・監督も大変だったろうが、
高体連も懐(ふところ)事情が苦しい中で最大限に頑張っているのだということが垣間見え、
ただただ敬服するばかりである。

東京国体の最終選手選考試合は、
佐々木らが3年生となった平成25年の4月に行われた。
高輪の5名とその他6名による変則リーグ戦である。

その結果、高輪の5名は全員残り、
郁文館の佐野竹朝を加えた6名が東京国体の正式代表に決定した。
丸5年続いたサバイバルゲームがひと段落したことになる。
特にボーダーラインにいた選手達は
精神的にもそうとうタフになったに違いない。
 

54年ぶりに東京に戻ってきた国体。

第68回国民体育大会が、
東京武道館で9月29 日に開幕となった。
東京武道館は東京の選手にとっては勝手知ったる場所である。

東京少年男子チームのオーダーは、
最終的にはオール高輪でインターハイと全く同じで臨むこととなった。

1回戦は大阪戦である。
PLの杉野、大野を中心に結成された混合チームだ。
この強敵に対し、
先鋒の津田、次鋒の阿部が連勝。
副将の重黒木が2本勝ちして勝負を決めた。

さて2回戦が運命の相手。
熊本=九州学院である。
メンバー5人はインターハイと同じだ。
高輪は、九学に対して
選抜、インターハイと今年2連敗。
今度こそはとリベンジに燃える。
先鋒の津田が上段の古閑に対して延長でメンを決めた。
続く次鋒の阿部が漆島にメンで勝利。
1回戦に続く、先・次連勝だ。

いいぞ、このまま一気に行け!

しかし九学はそうやすやすと勝たせてくれない。
中堅の平山が山田に延長で敗れ2-1。
「頼むぞ重黒木」。
今日の重黒木は何だか違っていた。
いつもよりずっと凛々しく、身体にも剣にもキレがある。
玉竜旗、インターハイと、
ここぞというところで副将の役割を果たせずにきた重黒木は、
この1ヶ月というもの
まさに血のにじむような、凄まじい稽古で地獄を見てきた。
その猛稽古に耐えぬいて一皮むけた感じである。
迷いを払拭し、全身に自信と力が漲っている。
その重黒木がやってくれた。
曽我に対して文句なしのメンを決め、
ついに九学に対して勝利を収めたのだ。

大将の佐々木もメンの一本勝ちで花を添えた。
佐々木は真田に対して、
選抜、インターハイと2連敗していたが、
佐々木個人としてもこの国体で真田にリベンジを果たすことができた。

次は準決勝。相手は長崎(ほぼ島原)だ。
先鋒戦を島原の牧島にとられたが、
東京は次鋒・中堅・副将の3連勝で決勝進出を決めた。

決勝の相手は福岡。

このチームはハッキリ言って凄い。
東京は高輪の、熊本は九学の単独チームだが、
福岡は日本一の激戦区だけあってオール福岡でオーダーを組んできた。
大将が勇で副将が梅ヶ谷という国体ならではの超豪華キャスト。

さあ、泣いても笑っても、
高輪のこのメンバーで臨む最後の試合が始まる。

先鋒戦。津田に対するは、鴨川奎太(福工大城東)。
鴨川は勇、梅ヶ谷を抑えて、
福岡中部ブロックで個人優勝の経験もある。

しかし津田はこの鴨川に対して延長でドウを決めた。
続く次鋒の阿部。
今日の阿部がまた強い、
安藤尚士(東福岡)にメン2本を決めて勝利。
中堅・平山の相手今村圭太(東福岡)は、
新人戦では勇に次いで福岡県2位の実力者。
試合は延長戦となり、今村に軍配が上がった。
これで2-1となった。

福岡の後ろ2人の副将・梅ヶ谷と大将・勇は、
強力すぎる2枚看板だ。
一勝リードしてはいるが、
この2人相手には決して安全圏内ではない。

引き分けのない国体、
重黒木は梅ヶ谷に対して、どうしても負けるわけにいかない。
梅ヶ谷には、高輪としても重黒木としても借りが山ほどある。
玉竜旗ではここから梅ヶ谷に逆転を許した苦々しい思い出がある。
今こそ返してやれ。
重黒木は、あの敗北で悔しさのあまり幾多の涙をこぼしただろうか。
そしてその涙の分だけ、リベンジに燃えてここまで奮闘してきたのだった。
さあ、いつものごとく梅ヶ谷がマシンガンのように攻めてくる。
しかし、重黒木落ち着いて捌く。
鍔迫り合いとなった。ここで重黒木が梅ヶ谷のお株を奪う引きメンを打った。

スパーン!

切れ味最高の引きメンを放った瞬間、
監督席に正座していた甲斐がパッと左手を挙げた。

「無意識のうちに審判をしてしまっていた」
という。
それほどまでに嬉しい一本だったのだ。

2本目。
梅ヶ谷がメンに飛びこむ! 
手もとが上がったその瞬間、

「コテ―!!! 」

重黒木が今度は目の覚めるような見事な抑えゴテを決めた。
文句なしの一本だ。

同時に東京の優勝が決まった。

最後の試合、大将戦の佐々木 勇は引き分けで幕を閉じた。

後に甲斐は語っている。

数多くの試合を経験してきたが、
この時ほど緊張し、この時ほど勝ちを望んだのは初めてだったと。

それはそうだろう。
地元「東京」の期待と責任を全部背負っていたのだから。

選手達には、
「お前らが負けたって、世の中なーんも変わらないよ」と
口癖のように言っていた甲斐。

それは、絶対に勝たなければならないという
責任とプレッシャーに選手たちが潰されないための魔法の言葉だった。

確かに、
この東京国体の高輪にのしかかるプレッシャーは半端ではなかった。
百戦錬磨の甲斐ですら押しつぶされそうになることもあった。
しかし、選手には今まで教えてきたことを
のびのびとすべて出し切ってもらうのみ。

結果は後からついてくるぞと。
そして選手たちはその通りに戦い、念願の優勝を果たしたのである。

1回、2回、3回……
甲斐の体が宙に舞う。

甲斐も選手もOBも父母も、
皆が皆、満面の笑みを浮かべている。

選手達は口々に言った。
「ホッとしました」。
優勝の喜びにもまして、
優勝のプレッシャーから解き放たれた安堵感が彼らを包んだ。

ここを乗り切った選手たちは人生における貴重な経験となったに違いない。


最後に一言だけ。
国体の開催県が優勝するという伝統。
開催県の威信をかけて頑張ることは素晴らしい。
しかし、開催県にとって「優勝」という2文字だけが目的化されてしまうことは
そろそろ見直す時に来ているのではないだろうか。

開催県優勝がマストとされることによる弊害のひとつ。
審判の旗が開催県に対して軽いと言う疑惑。
そんなものはないと信じたいが。。。

ただこれだけは言えよう。
2013年国体少年男子の東京優勝は、
間違いなく彼らの実力である。

(次回に続く)

【文中敬称略】

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