華麗なる剣士 東永幸浩 ~静かなる挑戦者7~

2011年 全日本選手権大会。

東永初の準々決勝進出!

対するは、大阪府警の大石寛之。
若手の旗頭だ。
ここから試合時間が10分となるが、
序盤で東永がメンを先取。
試合時間を5分と勘違いした大石が焦る。
「彼が試合時間を間違えなければ、違う展開になったかもしれません」
という東永も、「もしかしたら5分かもしれない」と迷ったという。
(選手へのアナウンスは是非ともしっかりやっていただきたいものである)
最後は大石、痛恨の場外反則。

いよいよベスト4だ。
岩下智久(千葉) VS 高鍋進(神奈川)
東永幸浩(埼玉) VS 内村良一(東京)

過去の戦歴から番付を付けるとすれば、
高鍋と内村が両横綱
それに挑む関脇
といった感じであろうか。

高鍋は岩下を得意のメンで下した。
そして、いよいよ東永。

相手は3つ年下であるが、へたな駆け引きは通じない。
内村は稀代の試合巧者。
二度の全日本制覇。
自分の剣道を信じて思い切っていくのみ。

立ち会い後、内村いきなり抜き胴。
東永がメンにくると読んだか。

内村、容易には出てこない。
コテで牽制。

東永も慎重に、同じくコテで牽制する。
開始4分
内村がコテにきたところ、東永上からメンに叩きつけた!
「ボコっ!」
相打ちだが、東永の放ったメンがものすごい音を立てた。
会場がドーっと湧いた。
東永1本先取!

しかし、まだ時間はある。
内村の狙いは明らかにコテ。
不用意に飛び出せば、内村のコテの餌食になることは
火を見るより明らかである。

内村間合いを詰める。
内村コテに来るか。

いや東永を誘うフェイントのコテだ。

そのフェイントの竹刀が東永の竹刀をチョンと払う、
そのタイミングで東永も前に出る。

内村「シメた!東永を引き出した」

そこで内村得意のコテだ!!

しかし、そのコテに東永が真っ向勝負でメンを合わせた。


「メーン!」

相打ちか、いや内村のコテが早いか、微妙なタイミングではあるが、
下から潜り込んでの内村の軽く当てたコテよりも、
東永の豪快なメンに明らかに分があった。

試合時間6分強。まさかの2本勝ちだった。

イメージ 3

(2011全日本選手権大会 東永 vs 内村)


ついに決勝戦。
相手は連覇を狙う高鍋進である。

「高鍋さんのレベルになると、
相手がなにかを仕掛けてきてからこちらが反応するのでは遅いんです。
それが寺本さんや、内村なら話は別でしょうが、
少なくとも私にはそんな器用さもスピードもないので、
相手の出ばなを思い切って飛び込むしかないんです」


今日の高鍋は、ツキも決めていたし、メンにくるかツキにくるか、
そしてコテもあるかもしれないけれど胴は絶対ない。


「やっぱり相手の出ばなを思い切り行くしかない。
自分にはフェイントで高鍋先輩を翻弄させるような技量もありませんし」
(と、謙遜して言うが、話半分に聞いておこう)


「で、高鍋先輩が来るぞと思ったところに、思い切ってメンに行ったわけですが。
見事にツキを入れられました」

剣キチ「打突部位は少し外れたような気もしたけど」

東永「いやいや、タイミング的には間違いなく審判が旗を挙げる技でしたね。
   やられたと思いました」

剣キチ、ここで東永に本音を吐かせようとカマかける。

剣キチ「その後、惜しいコテがあったよね。あれ絶対入っていたよね。
あれが入っていれば勝負はわからなかったし、
『なんで取ってくれねえんだよ』ってムカついたりしなかった?」

東永「試合後に多くの人から、コテが惜しかったねと言われましたが、
   自分はどの技か覚えていなかったんです。
   で、あとからビデオを見て、ああこのコテのことを言っているのかと思いました。
   でも、審判の方の手が全く上がらなかった、ということが全てを物語っているんです。
   つまり不十分だったということです」

この日、ずいぶんと東永に本音を語らせようと剣キチは頑張った(笑)のであるが、
どうもこれが東永の本音らしい。

受け入れなければならないことは素直に受け入れ、自分を反省する。
決して他人のせいにはしないし、一切の言い訳も愚痴もこぼさない。
本当に素晴らしい剣士である。というか人間として素晴らしい。

惚れ惚れする潔さじゃないか。



高鍋が史上2人目の2連覇を達成。

終わってみると、この高鍋の偉業が大きくクローズアップされたが、
多くの剣道ファンは、しっかりとその目に焼き付けたことだろう。

東永幸浩という男の勇姿を。



◎尊敬する同期

剣キチ「東永くんの尊敬する同期は、一人が小野田選手、もう一人が森大樹選手とのことだったけど
    森さんについてはどんなところ?」

東永「いやあ、森はすごいと思います。とにかく指導者として、
   明徳義塾であれだけの実績を残しましたが、
   その指導理念や指導法について、彼に直接話を聞く機会があったんですが、
   ほんと立派だと思いました。
   よく、一流の選手が一流の指導者になれるとは限らないと言いますが、
   彼は選手としても指導者としてもともに超一流ですね。
   教育者としての情熱も違いますし。私とは活動のフィールドが異なりますが、
   私にはまずできません。今や彼は教育界においてなくてはならない逸材でしょう」

剣キチ「うーん、なるほどね。彼は高校剣道を益々盛り上げてくれるだろうし、
    また一方で、今後は彼の母校である福大大濠の監督としての活躍も益々注目だよね」



◎ストイック談義

剣キチ「東永選手は、本当に努力家だよね。肘の怪我から復帰するときなどは、
    大変な稽古を積み重ねたんだろうね」

東永「僕は、努力を継続しないと力を維持できない人間ですので」

剣キチ「もう動かないというまで体をいじめぬいたりするのかな?」

東永「ええ、若い頃はがむしゃらに稽古しましたね。というか、先生方に鍛えてもらいました。
   稽古後しばらく足腰が立たないくらい。
   でも、だんだん無理が効かなくなってきたんです。
   私たちの場合、基本的に勤務日には稽古があり、休日の稽古の参加は自由なんです。
   若い頃はもちろん毎日やっていましたが、今は、例えば休みが日曜日にあたって
   しまったりすると、今日は行こうかなどうしようかなと迷うことがあるんです。
   体が休養を欲しているのですかね」

剣キチ「無理がきかなくなったと思ったのはいつ頃から?」

東永「30歳を過ぎてからですね」

剣キチ「今は、無理せず年齢に見合った質重視の稽古をしているんだろうね。
    ところで、一流選手はみんなそれぞれ努力家だと思うけど、
    中でも特にストイックだと思うのは誰?」

東永「同学年では古澤(庸臣)ですね。彼はほんとにストイックで真面目という言葉が似合い
   すぎますね。でも、なんと言っても一番は内村です。内村の真似はできません」

福永「その内村に2本勝ちしたんだから、東永の勝ちだよ!」

剣キチ「そう来ましたか(笑)」



さて、今回、東永選手にいろいろと話を聞いていく中で、
飽くなき挑戦を続けてきた、そしてこれからも続けていくであろう
東永幸浩という剣道家の、努力の原動力を見たような気がする。

それは東永の剣歴を並べて見ればわかる


全日本剣道選手権   2位
全日本都道府県対抗  2位
全国警察選手権    3位(2回)
全国警察大会(団体)  3位(2回)
全日本学生選手権   2位
全日本学生(団体)    2位
全日本学生オープン    2位

関東学生(団体)     2位1回・3位1回
関東学生新人戦     2位(2回)

埼玉県警  副主将
中央大学  副主将
鹿商工高  副主将

そして、

兄弟構成 次男(笑)


東永ほどの全国トップクラスの選手が、30年近い剣道人生において、
団体・個人を問わず全国優勝経験が一度もないのである。
鹿児島県や埼玉県のチャンピオンにはなっても、
関東や九州などの地区優勝もない。これは本当に意外なことである。

例えば内村良一はどうだ。数え切れないほどの優勝を経験している。
全国優勝だけでも10数回経験している。
九州地区、関東地区優勝などを入れれば20回を軽く上回る。
内村本人も覚えていないくらいじゃないだろうか。

前回、中大の高雄司選手の時も、2位にとりつかれた剣道人生のようなことを書いたが、
少なくとも高選手は、小学生の時に全国チャンピオンになっている。

しかし、東永の場合は、副主将、そして次男(笑)というところまで、
徹底して1番じゃない。

「一度でいいからテッペンを見てみたい」
この欲求は、ある時から熱望に変わり、
毎年毎年、いつかは一番を取るぞという、執念とも言える強い気持ちが、
30代半ばの東永をして、いまだに進化せしめているのではなかろうか。

そのような意味では、
今まで2番手でいつづけたことが、彼を向上させてきたとも言える。

しかし、最後には獲って欲しい。

てっぺんを。


(文中敬称略)
                         【完】



イメージ 1
(1999全日本学生選手権大会 中大準優勝)



イメージ 2
(東永20代のある一コマ…編集後記参照)



--編集後記----------------

長い間、更新を怠ったことお詫び申し上げます。
実は、今回の東永選手の取材を書き始めたら、30,000文字を超えてしまいました。
原稿用紙にして実に75枚以上です。
あまりの長編に、読まれる方も疲れてしまうと思って、少し減らした結果がこれです。
最後までお読みいただいた方、お疲れさまでした (*^-^)ノ

最後の最後に私の心を打ったエピソードを紹介します。

それは、東永選手に、本日ここに掲載した3枚の写真を送ってもらったときに、
20代の写真を見て、私は東永選手に
「躍動感溢れる素晴らしい写真だけど、これは三所避けと受け取られて
東永のイメージダウンにつながらないかなあ?」と心配すると、

「二十代の時の自分は、まさに勝ちに執着した剣道をしていましたので、
結果的に動きの中で瞬間的にこのような形になることも多々ありました。
でもこれも真実の私ですから、どうぞお使いください」という。
なんという潔さ。なんという侠気なんだ。

嘘偽りない、そして飾らない、ありのままの自分をさらけ出す、
その潔さに、私は今まで忘れていた大切なものを思い出したような気がして
ハッとしました。

今回東永選手という素晴らしい剣道家(いやあえて『人間』と言い換えるべきか)に
出会えたこと、心から感謝申し上げたいと思います。

東永選手の今後の大活躍をお祈り申し上げ、
長編「華麗なる剣士 東永幸浩 ~静かなる挑戦者~」
に幕を降ろします。

ありがとうございました。