5/24放送NHKテレビ・連続テレビ小説「半分、青い」で風吹ジュンさんのナレーションが聞こえてきました。「そう、その年1990年、一躍スターとなったのは人面魚でありましてテレホンカードにまでなっていました」のような。

私はこのドラマに興味があるわけではありませんが、家族が見ているので自然に耳に入ってきます。

1990年と聞いて、このドラマは元号ではなく西暦で行ってるんだと気付きました。

1990年と平成2年は時間的には全く同じですが、私の場合は1990年より平成2年の方が分かりやすい。少なくとも平成の天皇の2年目(前年昭和天皇崩御)ということはすぐ分かる。

来年は平成の時代も終わるので、平成に懐かしさを感じるこの頃、平成でいって欲しかったと思います。

 

5/9放送NHKテレビ・歴史ヒストリア「お城の国ニッポンを作った男~伝説の棟梁・中井正清~」をビデオで見ました。
ウィキペディアによると、中井正清は『初代の京都大工頭であり、官位は従四位下・大和守。畿内・近江6カ国の大工等を支配し、1,000石を知行した。関ヶ原の戦いの後、徳川家康に作事方として仕え、二条城建設に活躍した。家康の命による江戸城、知恩院、駿府城の天守、江戸の町割り、増上寺、名古屋城、二条城、内裏、日光東照宮、久能山東照宮、方広寺など、徳川家関係の重要な建築を担当した。』
番組の中では4つの大きなお城、二条城、江戸城、駿府城、名古屋城や久能山東照宮などの建設のことが語られています。
中井正清は元和5年1月21日に亡くなっています。番組では1619(元和5)年1月と表されていますが、この表現は年が新暦で月は旧暦ですから変。日付(旧暦)もはっきりしているので、元和5(1619)年1月21日とした方がよいでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

中井正清死亡

5/22の「うたコン」の歌の時代表示は完全に元号だけ、西暦の併記も無くです。

 

驚きました。NHKの歴史ヒストリアでは元号軽視が見られたので心配していましたが、この番組では心配ないようです。

 

日本の歌謡は最近外人も興味を持っているらしいので「元号に西暦併記」がいいかもしれません。映像の一部を紹介します。

 

 

 

 

 

 


5/16放送NHKテレビ「歴史ヒストリア・観応の擾乱」をビデオで見ました。話は簡潔で分かりやすく作ってありました。
でも時代の表示の仕方には驚きました。
観応は南北朝時代の北朝の元号で西暦(ユリウス暦)1350-1352年の頃です。観応という元号を含んだタイトルですから、時代の表示は元号が使われると思いましたが、期待外れでした。これまでNHKの歴史番組では元号と西暦は併記されるの普通でしたが、この番組では最初の室町幕府成立のところだけに建武3年という元号が使われただけであとは全てユリウス暦だけの表示でした。ついにNHKは元号不要論者になったかとちょっと心配です。
 

次の画面のように室町幕府成立の場面では、「1336(建武3)年11月室町幕府を開く」と字幕が出ました。1336年はユリウス暦で11月は日本暦(和暦)ですから、建武3(1336)年11月とした方がベターだと思います。


次、観応の擾乱のきっかけとなる南朝方の河内の国での挙兵の場面では元号は使わずユリウス暦だけの「1347年」でした。ここは正平2/貞和3(1347)年又は北朝の元号だけにして貞和3(1347)年として欲しい。日本の中世時代を西暦だけで表されると、和食をナイフとフォークで食べているような違和感を感じます。

 

尊氏の庶子、直冬は直義の養子となり直義を深く慕う。直冬は義父が師直によって隠居させられたことを聞いて、師直を討たんと鞆の浦で挙兵。観応の擾乱の引き金。
ここも「1349年」だけの表示。貞和5(1349)年として欲しい。


出家したはずの直義は直冬と共に師直を討つため、密かに禁断の手、大和の南朝に向かう。
ここでは「1350年10月26日」と表示されている。この表示は一見西暦っぽいですが、年はユリウス暦、月日は日本暦です。ここで観応という元号が出てきます。「観応元(1350)年10月26日」とすべきでしょう。

 
師直の軍は直義の軍と芦屋打出浜で決戦、師直深手を負う。
「1351年2月17日」と表示。「観応2(1351)年2月17日」がベター。
和睦後、師直一族は京都に向かう途中殺される。


直義は政権に復帰するが、南朝との交渉決裂。
「1351年5月15日」と表示。「観応2(1351)年5月15日」がベター。


直義の求心力は弱まり、身の危険を感じてか腹心のいる北陸へ向かい、兵を集め、尊氏と対決するようになる。

尊氏と直義の全面対決の中、二人で直接話す機会を得た。
「1351年10月2日」とのこと。「観応2(1351)年10月2日」がベター。

和睦は成らず、直義は更に兵を集めるため鎌倉に向かう。


尊氏は直義と戦うために禁断の手、南朝と交渉成立。
「1351年11月3日」と表示。「観応2(1351)年11月3日」がベター。


尊氏は鎌倉に出陣、観応の擾乱が始まって2年、直義ついに降伏。
「1352年1月」と表示。「文和元(1352)年1月」又は「観応3(1352)年1月」がベター。


直義は鎌倉浄妙寺に幽閉され、病死(毒殺との説も)。
「1352年2月26日」と表示。「文和元(1352)年2月26日」又は「観応3(1352)年2月26日」がベター。

この番組は非常に面白いのでまだ見ていない人は是非視聴されることをお勧めします。

元号と西暦の暗記も見てみよう。

5/10放送NHKテレビ「日本人のおなまえっ!元号を大特集」をビデオで見ました。
中で「元号とその元年の西暦」のパネルが出てきました。私が暗記、暗唱しているようなものなので驚きました。
 

そのパネルの放映時間は短く、全部の元号は見えませんでしたが、見えた範囲で元号と西暦の対応が少し違うと思ったものがいくつかありました。
 

嘉保(1095)、建保(1214)、安貞(1228)などです。
歴史年表では嘉保(1094)、建保(1213)、安貞(1227)となっているものです。


日本の歴史年表においては、
西暦は明治5年までの日本暦と多少ズレがあるので、
①日本暦の年の大部分が属する西暦に当てはめることで対応しています。
また

②改元の年は1年を通じて全部新元号で表すこともされています。

「建保」を例にとると、
ウィキペディアによると、建保の改元は建暦3年12月6日(ユリウス暦1214年1月18日)、
建保7年4月12日(ユリウス暦1219年5月27日) 承久に改元となっています。

ですから、
①より建暦3年の大部分は西暦1213年に属するので、建暦3年は1213年となります。
そして②より改元の年は1年を通じて新元号ですから建暦3年=建保元年は1213年となります。
もし建保元年を1214年とすると次の承久の改元は建保7年ですから西暦1220となり承久の改元(1219年)と合わなくなるし、
有名な承久3年の承久の乱は西暦1221年ではなく、1222年となってしまいます。

ウィキペディアのみならず、

吉川弘文館の歴史年表、中央公論社の日本の歴史・年表、
同成社の日本史年表・年号ハンドブック、東京出版の高校日本史教科書のいずれでも「建保」は1213年となっています。
NHKの元号・西暦変換は単純にユリウス暦に置き換えたものだと思いますが、歴史年表とは違っています。

参考のため歴史年表に基づく元号・西暦変換は次を見てください。
元号とその元年の西暦を暗唱(8分)
 

私のような高齢でも暗記できる「黄金の記憶・暗唱法」