その時、どういう思いだったのか?
どのような考えだったのか?
について、
正確に答えられない人が意外と多くいます。
「覚えていない」「記憶にない」と
明らかに誤魔化しているように思える政治家もいます。
でも、ウソを言おうとしているのではないのに、
そのバックグランドにある思考が働いている人は
実は意外と身近にいるものです。
自分らしい人生を歩んだり、
自分らしく起業したい、と思う人はたくさんいて、
それらの人のサポートをしていますが、
そもそも「自分らしさ」って何だ?
それを明確に説明できる人はほとんどいなかったりします。
なので、まずそれらを模索するわけですが、
その際に、これまでの「自分の選択」を振り返っていただきます。
で、そこで、なぜその選択をしたか?
どのような思いや考えだったか、をきくわけですが、
それが意外と正直に言える人が少ないのです。
正直の逆はウソですが、
本人は決してウソを言っているつもりはないのです。
一番典型的な例は、
こうあるべきだということを言う人です。
常に正しい答えを言いたい人です。
常に良い子でいたいという思考が働いています。
脳には、過去のイヤなことは記憶から消そうする機能があります。
単なる消去ではなく、別の内容を上書きすることもあります。
極限体験をすると、イヤなことだけでなく、その逆もあります。
冤罪でよく言われる自白の強要がそれです。
毎日何度も何度も詳細な描写とともに
「お前がやったんだな」と言われると、
自分の記憶と、聞いて描いた記憶がごっちゃになって、
そうだと言うと楽になれる、という錯覚も伴って、
「私がやりました」と言い、詳細な描写まで自分で言うようになる。
正常な状態の人からすると、そんなことありえないと思えるようなこと、
これらは現実にあるのです。
これはちょっと特別な例ですが、その逆、
自分に不都合なことを、そうでなかったように記憶を書き換えることは
そのような極限状態でなくてもできてしまうし、
やってしまう人がいます。
質問に対して、素の自分の声ではなく、
こうであるべき、という答えをいう人、
そのような人は、しばらくはうまくいっても、
必ず壁にあたり、その壁を自分では乗り越えられない可能性が高いんです。
「素の自分が答えているか」
これには見抜き力が必要です。
メンターとして寄り添いサポートする人には、
これ、必要な能力なんですよね。
これは鍛えようと思っても、なかなか身につかないものです。
なので、この能力をもっている人は、メンターに最適な人で、
メンターになるべく人だと思います。
これからの時代、起業家や経営者のメンターが多数必要となってきますが、
成り手を探すのがちょっと大変なのはそのあたりなのです。
でも、鍛られることも見えてきたので、そこかなと。
